のが太陽となり、女子から出たのが月となつた。それが何たる不敏だ、今では月と日とを拜んだりするものとなつてしまつた。然し、自然の理法が僕等の本能に働くと、本能は、プラトーンの所謂想起説の樣に、その働きに由つて、僕等を段々小我から解放して、たとへば盲人が視力を恢復して段々光に接して行く樣に、心靈の力が活躍して來るのである。
 僕等が大心靈に合體してしまへば、もう、それが極致であるが、それまでの道行きは崇拜の念[#「崇拜の念」に白丸傍点]を以つて爲なければならない――また、必らずそういふ道念が生じて來る。人は心靈といふ説明し難い物のことを考へると、その考へが進めば進む程、之に就いて語ることが少くなると、エメルソンも云つて居るが[#「人は心靈といふ」〜「云つて居るが」に傍点]、無言に至つてその極に達するのであらう[#「無言に至つてその極に達するのであらう」に白丸傍点]。
 これは『自然論』の要點であるが、心靈その物の解釋は何處《どこ》にも見えて居ない。エメルソン自身もその思想が進歩するに從つて、論旨に滿足しないところが出來たさうだが、そんなことはかまはない。メーテルリンクが渠の議論から自分の考
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