な唯心論ならば、何も外界を否定するには及ばないのだ」に傍点]。心靈的理法は一貫して變はらないので、之につながつて居る僕等も、矢張り變はることはない。僕等は波上にたゞよふ船の樣ではない、依然として立つて居る家の樣だ。かう云へば、變化のあるので生活して居る株屋だとか、大工だとか、通行税を取るもの等は困るだらうが、論者には少しも不自由はないのである。
 メーテルリンクは、僕等の官能が粗雜であるので、之を根源とする知力では、到底神秘界に入り込み難いと云つたが、エメルソンはまた、官能が明確にならない限りは、世界を上から見て、唯心論的に説明して置くべきものだと思つて居た。鈍根のものには、自然はたゞ官能的に見えるばかりだが、理性の發揮して來るのと、意志の奮興して來るのとで、僕等は官能的壓制をのがれることが出來るから、自然の輪廓と表面とは透明になつて、もう見えなくなつてしまう[#「鈍根のものには」〜「見えなくなつてしまう」に傍点]。その代り、一貫した理法が見えて來て、そのまた理法が心靈と合體してしまふのである[#「その代り」〜「合體してしまふのである」に白丸傍点]。
 エメルソン自身の證明[#「エメル
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