さけ」、329−4]び出せば、山河も鳴動する、草木も感泣する。かう云ふ力を得てから、初めて人心を制服することも出來る、また慰籍することも出來る。
歸するところ、外界の法則と内心の作用とは一致して居る[#「外界の法則と内心の作用とは一致して居る」に傍点]ので、『二一天作《にいちてんさく》[#入力者注(5)]の五』[#入力者注(6)]は、直ちに之を倫理にも應用することが出來る。之を心中に應用すれば、その意味の範圍が廣くなつて、術語の拘束を脱するばかりのことだ。そこで、歴史にあつた事件は、必らず僕等の心にも起つて居るので――エメルソンの『歴史論』には、鼠《ねづみ》の寄り合ひを記録してないのは、歴史の本分を忘れて居るのだとまで云つてある。鼠の會議は國會の議事であつて、國會の議事はまた僕等の腦中の冥想となつて居るのである。
(四) エメルソンの『自然論』 (下)[#「(下)」は底本では左右にパーレンのついた「下」]
エメルソンが設けた自然に對する方便は、最下級の物品から進んで、美論となり、また言語的表象の事を論じてしまつたが、まだ第四の意義がある。
方便の第四は、自然は教義[#「教義
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