舞臺に現はれる俳優には舞踊の素養を要すると同じく、言語にも亦律が必要なことさへ推定することが出來れば[#「人間の動作に律があるから」〜「出來れば」に傍点]、その音律と動作律とが、自我無言の覺醒する無目的活動に連れて、悲痛の靈と共に發現して來るのは當前なことであらう[#「その音律と動作律とが」〜「當前なことであらう」に白丸傍点]。悲痛の熱烈な程、その律に緊張の響が生ずる[#「悲痛の熱烈な程、その律に緊張の響が生ずる」に白三角傍点]。且、その上に運命なり、性格なり、事件なりがつき添ふて來るのは、自然即心靈の意味からして、また劇の運用上からして、止むを得ないことである。僕が處女作『魂迷月中刄』を作つた頃、故櫻痴居士は之を見て、そんな慘憺な悲劇はわが國には向かない、國人の嗜好は、人物の精神は勿論、身體迄の救濟に由つて、安樂に解决する悲喜劇[#「悲喜劇」に白三角傍点]であらうと云はれたことがある。これは、『朝顏日記』や『壺坂觀音靈驗記』などを指して居られると思はれた。僕はその時から居士の教に滿足して居なかつたが、今日では、その悲喜劇とは僕のいふ喜劇の部に這入るべきものである。
 僕の考へでは、谷
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