』云々の二部合唱を歌ふのと違つたことはない。更らに適切な例を擧げると、一人の娘が騙された戀に熱中して、之を認許する父を『お父さん大明神』と拜むのと同じである。苦悶は解决の出來ないものだのに、之を解决しようとするのは、悲劇を喜劇に墮落さすのである[#「苦悶は」〜「墮落さすのである」に白丸傍点]。だから、科白劇を喜劇とし、樂劇を悲劇としようとするのは、全く根據のないことであつて、科白劇にしろ、樂劇にしろ[#「だから」〜「樂劇にしろ」に傍点]、無終無决の苦悶を活現してこそ、初めて眞の悲劇と云はれるのである[#「無終無决の」〜「云はれるのである」に白三角傍点]。然し、かうなつて來ると、神秘な數が非常に勢力が出て來るから、この點だけは音樂に近づくので[#「然し」〜「近づくので」に傍点]、科白劇にしても必らず律語を用ゐなければならなくなる[#「科白劇にしても必らず律語を用ゐなければならなくなる」に白丸傍点]、否、人間の使ふ言語中に潜んで居る瞹眛粗雜な音律が、自我の覺醒に連れて、自然と發揮して來るのが事實である[#「否」〜「事實である」に傍点]。
 僕の研究した範圍では、淨瑠璃にあらはれる人物[#「
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