足が出來ないで、その跡へ意志絶滅の倫理觀を以つて來る前提であるから、渠の所謂音樂説では、かの別にまた神や、主義や、目的を求める論者と同樣、まだ最終無上の藝術は見えないのである[#「まだ最終無上の藝術は見えないのである」に傍点]。乃ち、渠はまだ新文藝の現出を知らなかつたのである。僕は新文藝の據つて立つべき數なるものを、直觀的だとは承知して居るが、渠並にカント輩の云ふ樣な形式だとは思はないのである。音響なり、言語なりを數の上に當て填めるところから見ると、成程、一個の純然たる形式の樣ではあるが、僕の刹那觀では、一刹那、即ち、一數より外存在して居ないのであるから[#「僕の刹那觀では」〜「居ないのであるから」に傍点]、その數は生命であつて、形式の如く他物に利用されるものではない[#「その數は生命であつて、形式の如く他物に利用されるものではない」に白丸傍点]。數その物の流轉盲動が、藝術になつて居るのである[#「數その物の流轉盲動が、藝術になつて居るのである」に白三角傍点]。
かう云へば、諸君は印度の數論哲學と希臘のピタゴラス派の學説とを思ひ出すだらうが、渠等は僕の最も避けて居る多元説若しくば二元
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