ふなら、同じ理由を以つて、表象的言語を普通音樂だと云へる。渠は音樂の普通的なるを證明するつもりでもあらう、一つの曲譜に種々の詩歌が當て填められることを云つて居る――これは、たとへば、わが國の長唄の樣に、その發想法が緩慢であるので、叙情句でも、叙事句でも、勝手に當て填められる節もあると、田中博士の云はれたことがある、その意味なら、もツと嚴密な發想法を用ゐれば、詩歌の應用範圍が縮まるわけだが――然し、それも、五十歩百歩の違ひであつて、詩歌の方から云へば、矢張り同じことが云へよう。苟も表象的藝術である以上は、音樂と云はず、詩歌と云はず、すべて固定の意義があり得ないのである[#「苟も表象的藝術である以上は」〜「あり得ないのである」に傍点]。宇宙の本然から來る朦朧は、乃ち、表象的藝術なる詩歌と音樂との特色であるのだ[#「宇宙の本然から」〜「特色であるのだ」に白丸傍点]。
十年以前から象徴、即ち、表象文學の紹介者たる上田敏氏も、矢張りこの謬見に落入つて居られると見え、曾て、どこかで、藝術の妙味はまだオペラでは足りない、必らず歌辭を離れた器樂ばかりの發想でなければならないやうに云はれたことがある。
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