「僕から見れば」〜「落入らしめるのである」に傍点]。シヨーペンハウエルならば、これが意志の藝術的客觀化であつて、之に對する間は、自分の意志の臨時的絶滅であるから、文藝その物の慰藉はこれから來るのだと云ふであらうが,これは、戀愛の趣味と同樣、客觀即ち非我の表象を喰つてしまへば、跡は更らに慘憺闇黒の自我が殘るのであるから、渠の如くまた別に意志絶滅主義の倫理を建てない以上は、それを以つて滿足することは出來ないのである。倫理又は主義に導く創作は、まだ最終極致の文藝とは云へないのである[#「倫理又は」〜「云へないのである」に傍点]。
 然らば、僕の所謂劇を組織する要素[#「僕の所謂劇を組織する要素」に白三角傍点]は何かと云ふに、諸表象の盲目的活動とその衝突と[#「諸表象の盲目的活動とその衝突と」に白丸傍点]である,乃ち、意志と意志との喰ひ合ひである。短言すると、自然即心靈の活現である。それが刹那的表象の作用を借りて、或は事件にもならう、或は人物にもならう、或は又動作にもならう。一大天才があつて、かの夢幻劇を整理することが出來たなら、僕等の渇望するドラマが組織されようと思はれる。メーテルリンクの所
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