べからざる人格の打破[#「確立すべからざる人格の打破」に白三角傍点]である。道學者輩の人格論はもう論ずるまでもなくなつたが、坪内博士並にその他の頻りに主張せられる性格劇は、僕の半獸主義から云ふと(僕はまだ作劇の上で試爭するのではないから、それは斷つて置くが)、まだ、來らうとする新文藝の遵奉すべき形式ではない。シエキスピア流の作劇法はもう段々廢れて行かなければならない。一刹那の電光を描寫布衍する劇には、歴史的束縛を意味して居る性格などは不用ではないか[#「一刹那の電光を」〜「不用ではないか」に傍点]、たゞ暗中からひらめく靈果を、その塲で捕へさへすれば善いのである[#「たゞ暗中からひらめく」〜「善いのである」に白丸傍点]。それには、在來の夢幻劇の樣に、事件を主として登塲人物の人格にあまり重きを置かないから、蚯蚓《みみず》[#入力者注(5)]の如くたゞ一塲を切り取つて來ても、なほその効果を有する組織が、却つて善い方法の一つであらう。時處の統一の如きは、尚更ら重んずるに及ばない。僕から見れば不自然な性格追行と時處の統一とは、之に拘束される文藝を導いて、客觀的枯空の状態に落入らしめるのである[#
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