り、神秘はいつも生命となつて世に殘つて居るのである。
 メーテルリンクは法律家であつて、その業務の傍ら、論文と作劇とに從事して居たが、『モンナワンナ』を作つてから、その作劇上の資才が見とめられる樣になつたのである。渠の所論には、僕も亦云ひたかつた點が多いのであるが、それではエメルソンは僕等とどう云ふ關係になつて居るか。メーテルリンクのエメルソン論が、去年の『ポエトローア』に出たが、まだ見ないのは殘念だ。

 (三) エメルソンの『自然論』 (上)[#「(上)」は底本では左右にパーレンのついた「上」]

 メーテルリンクが、情を以つて入る外には、現在の人間が理解することは出來ないと棄てたところを、エメルソンは一個のコンベンシヨン、形式を以つて解釋が出來ると云つて居る――その形式は唯心論[#「唯心論」に白三角傍点]である。
 唯心論と云へば、哲學者等は古いと笑ふだらうが、エメルソンのは少し違つて居る。渠は唯心論その物を證據立てようとして齷齪するのではない[#「渠は」〜「齷齪するのではない」に傍点]。たゞそれを發足點として、それ以外又はそれ以上のことを云つて居るのである。若し唯心論が成り立た
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