じて居る。國家とは、宗教と等しく、偉大な人物の權力が拔け出た蝉殼である[#「國家とは」〜「蝉殼である」に傍点]。フレデリツキ大王の權力は、大王日々の流轉的老衰に從つて、プロシヤ帝國といふ形骸を殘したのである。木村鷹太郎氏の如きも、僕と同じく權力主義の人ではあるが、それを國家に與へて、國家至上主義を唱へられるのは、一大人物があつて、之を統轄して居る間ばかりしか眞理でないと僕には思はれる。宗教と云ひ、國家と云ふものは、孰れも結婚問題と同樣、自我の刹那的覺醒當時の遺物[#「自我の刹那的覺醒當時の遺物」に傍点]であるから、自我のまどろんで居る間は、自分で規定した法則を、誰れか他人が設けたものゝ樣に、遵奉して居るので――何も之を遵奉するのを急に廢する必要はないが、自分の生命とするところが矢張り別にあるのは、戀の塲合と同樣である。耶蘇がその教への批點を捕へようとしてやつて來たもの等に答へて、『カイザルの物はカイザルに返し、神の物は神に返すべし』と云つたのは、時の政府と衝突して居ないことを明言したのである。國家の内部的生命は、暗流の如く個人の胸中に流れて居るのである[#「國家の内部的生命は」〜「居る
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