るものを一如的に區別して、活動のミイラの樣に見られたからで[#「これは、矢張り」〜「見られたからで」に傍点]、僕の現象即實在論は絶えず活動して轉換を生命とする表象の効果を説くのである[#「僕の現象即實在論は」〜「説くのである」に白丸傍点]。
(十五) 表象の直觀
かうなると、向上したと思はれて居る心靈が、また草木に轉化することがあると同前、哲學はまた科學と同一徹に出たことになる。近世非常に進歩したと云はれる心的科學は、偉大な形而上學の破碎した斷篇に過ぎない。人にたとへて見れば、エメルソンの云つた通り、身づから短縮墮落した天である。その杓子定規を打破しないと、到底今日の思想界は救ふべからざるものである[#「その杓子定規を」〜「救ふべからざるものである」に傍点]。『われ等は知力の地平線以上に登ることはない』と、メーテルリンクも云つた。大雪の降つた日に、小高い岡に登つて見ると、見渡す限りは銀世界、家も道路も白い平等の手に平均せられて、一つの勝れた物もない。凡人が泰山に登つて、孔子が新高山に立たうが、五十歩百歩の差であつて、地平の純化力[#「地平の純化力」に白三角傍点]には平服してしまうので――こゝへ來ると、大西郷の反亂と小供の惡戯とは、何の違つたことがあらう。プラトーン以來、哲學者のたよりとして來た知力も、また運命の杖に過ぎない[#「プラトーン以來」〜「運命の杖に過ぎない」に傍点]。暗黒の中から自分を探つて行くのである。隆盛が『盲人の手引きだ』と云つた評言は、某政治家にばかり當て填つて居るのではない。
僕は、曾て、身づから安心が出來ないので、いツそこの苦悶を傳へて、世の惱んで居る人々を啓發し、同情相憐む間に慰藉と救濟との道を開くつもりで、傳道者にならうと决心して居たことがある。然し、耶蘇教の神觀に滿足が出來ないで、之を放棄してから、まだ詩に安立して居たわけでなかつたので、哲學に自分の救ひを求めた。その時、カントを讀めないながら字引の案内でのぞいて見たが、その組織が――大きいと云へば、大きいのだらうが――如何にも繁雜で、假定が多いので、矢張滿足が出來なかつた。ミルトンの詩は[#「ミルトンの詩は」に傍点]、譬へや引用が五行も六行も重なつて來て、それから云ひ表はさうとする感想が躍り出て來るので、窮屈なのは窮屈だが、力と威嚴のあるので、當時面白く讀めた,然し、カントの哲
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