神秘的半獸主義
岩野泡鳴
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)驥尾《きび》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)二年程|經《た》つうちに
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)驥尾《きび》[#入力者注(5)]に附して
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\面白い
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
議論は相合はぬ節多けれども、
常に小弟を勵ます益友、
木村鷹太郎君にこの著を献ず。
はしがき
僕、一席の演説を依囑せられ、その原稿を書いて居ると、この樣に長くなつてしまつたので、雜誌に掲載することも出來ず、止むを得ず一册として出版さすことにした。
曾て、博士三宅雄二郎氏、『我觀小景』を公にせられて以來、わが國に於て、同氏の如く哲學上の荒蕪を開拓して、自説を發表し、且之を持續體現せられたのは、愛己説の加藤博士、現象即實在論の井上博士、並に無神無靈魂説の故中江兆民居士だけであつたかと記憶して居る。その諸説の由來と可否とはさて置いて、かういふ篤學諸氏の驥尾《きび》[#入力者注(5)]に附して、僕が一種の哲理を發表するのは、少し大膽過ぎるかも知れないが、僕には僕の思想が發達して來た歴史もあるので、別に憚るまでもなからうと思ふ。僕がこの十餘年來、友人の間に、はじめは自然哲學と稱し、なか頃空靈哲學と唱へ、終に表象哲學と名づけるに至つた思想が、この書中に現はれて居るのである。
附録の諸篇は、僕が折にふれて種々の雜誌に出した演説、論文等の中から、本論の不備を補ふに足る分だけを寄せ集めたのである。
明治三十九年四月二十日
東京にて
岩野美衞識
(一) 緒 言
僕は議論を好まぬ、拾數年以前、詩を作り初めてから、議論は成るべく爲ない方針である,然し、世間の人は詩を了解する力が乏しいので、詩には遠から現はれて居る思想でも、單純な理窟に成つて見なければ目が覺めないのは、如何にも殘念なのだ。近頃、身づから救世主であるとか、あらざる神を見たとか、大眞理を發見したとかいふものが出て來て、宗教と哲學とに深い經驗のない青年輩は、如何にもえらい樣に之を云ひ噺して居る。――僕は前以つて斷つて置くが、
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