をして居るのであるから、他に向つて恐るゝといふことはない,自生自發、たとへば、かの棒振り[#入力者注(13)]がどろ水の中にぴんぴこ跳ねまはつて、その位置を轉じて居る通り、外面から見ると、嬉しさうで、樂しさうで、何の苦もない樣である。然し、これは、スピノーザの所謂自由、乃ち、内部から來る必然[#「内部から來る必然」に傍点]であるだけに、若しうツかりして居ると、却つて非常に意外な驚愕と恐怖とが來ないでもない。たとへば、一刹那の奮勵を怠つた爲めに、天女となるべきものが長い蛇となつたり、また、暗黒の境に這入ると思つたのが、急に光明界の星となつたりする時を云ふのである。これに類したことは、僕等が日々の經驗にもあることである。
メーテルリンクは遺傳と運命とを云つたが、この兩者は、流轉といふ不可思議な黒水の流れ[#「流轉といふ不可思議な黒水の流れ」に白三角傍点]に潜んで居るもので――眠つて居た心靈が、どこか遠方の森かげで、ほら穴の中に目が覺めて、その顏を洗ふ時、幽玄な曉の光に初めてそれに氣が附くのである。その心靈とは外でもない、僕等である。それで、また、僕等の立ち塲はたゞ一刹那にあるので、その刹那/\を空しく逃がさない樣にするのは、なか/\骨である。この骨折は、丁度一つの石を水面に投げると同じで、出來た波の輪は段々廣がつて行つて、過去や未來の云ふに云はれない無限際から、悲愁と苦痛との響きを傳へ返すのであるから[#「丁度一つの石を」〜「傳へ返すのであるから」に傍点],之に氣がついた上に、尚踏みこたへなければならない僕等の運命は實につらいものだ[#「之に氣がついた上に」〜「實につらいものだ」に白丸傍点]と分つても、心の自然になつて來るものであるから、夜の夢にうなされて居る樣に、どうしても之を振り拂ふことが出來ない。僕等の生命はその上を流れて居るのである。
僕等はぬる/\した蛇にはなりたくない,然し、その鱗の樣なものは僕等の毛穴から吹き出て來る。蛇を水平線とし、人を直立線とすれば、直角が出來る、この神秘的四分圖の間に、活動物はすべてその位を得て居るといふことがあるが、僕等が腹這ひになれば、もう蛇體ではないか。その上、手足も蛇の形で、その先きには細い蛇がまた二十匹もついて居る。若し蛇に意識があるとすれば、人間は澤山の蛇から出來た木とも見えよう[#「若し蛇に」〜「木とも見えよう」に傍
前へ
次へ
全81ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岩野 泡鳴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング