点]。運命は目的もなしに僕等を持て遊んで居る[#「運命は目的もなしに僕等を持て遊んで居る」に白丸傍点]ので――つらいとは思ひながらも、尚、僕等は生きたいのである[#「つらいとは」〜「生きたいのである」に白丸傍点]。日本や希臘の古代の樣に、狹い光明の中に生活して居た時には、物の調和だの、自然の美だのに滿足して居たので、かういふ深い感想はなかつただらうが、僕等にはその當時の人々の樣な太平樂は云つて居られないのである。然し、生きたいのは渠等と同樣であつて、生命を乞ひ願ふのは僕等が心靈の本能であるらしい。それもその筈で、死ぬといふのは別な形に變はるばかりのことであるから[#「それもその筈で」〜「ことであるから」に傍点]、一つの表象が他の表象に移るだけで[#「一つの表象が他の表象に移るだけで」に白丸傍点]、死といふものはないのである[#「死といふものはないのである」に傍点],無闇な物に轉ずる位なら、たとへ蛇に似て居ようが、棒振りに類して居ようが、今の形と精神とを以つて、殘つて居たくなるのは、僕等の執着心から云つて當り前のことだ。慣れない苦勞をするよりも慣れたまゝの苦勞は、そのうちに親みも出て來る。僕が現世主義を起點[#「現世主義を起點」に白三角傍点]としてあるのは、この事實を知つてからで――死なうとしても、どうせ死なれないのではないか。
 矢張り仙臺に居た時の經驗であるが、僕は自殺しようと思つたことが二三度ある。その最後の時は、前日に二三の友人に伴はれて、かの青葉城のうしろにある、政宗の立退路《たちのくぢ》と云はれる谷へ、化石を拾ひに行つた。こゝは、自然の開鑿とは思はれない程、規則立つて幅の狹い、また、底深く切り下げた谷合ひであつて,幾條にも道が分れて居るので、どこまで續いて居るのか知れないし、大きな樹がその兩方の絶壁の上からかぶさつて居るので、晝も尚うす暗いところだ。こゝで、あやしな死に神がつきかけたのだらう、高いところからこの谷底に身を投げて、死んでしまはうと决心をした[#「高いところから」〜「决心をした」に傍点]。それで、翌日、ひとりで朝早くから家を出て――前日は城の左から下つて行つたのだが――今度は反對に右手の出口から、谷へ這入《はい》らないで、その崖のふちに添ふて登つて行つた。どういふ拍子か、道に迷つて、前日定めて置いた塲所が見えるところへ來なかつたが、同じ谷の分れ
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