したので、そんなことはどこでも云ふから珍らしいことはないと笑つたが、如何にも人物が温厚なので、時々頼れて日本の事を演説してやつたさうだ。暫く經《た》つと、こゝへ紹介をして呉れた友人から手紙が來て、讀んで見ると、お前は同派に改宗する見込みがあるさうだが、そんなつもりで紹介したのではないと書いてあるので、これは不思議だ、自分もそんなつもりではないのにと思つて、出した返事が面白い――温厚な老人の頼みがあるので、時々日本の事を演説などはして居るが、先づ當分は改宗の見込みはないと思つて呉れろ。『宗教は偉人の形骸である[#「宗教は偉人の形骸である」に白丸傍点]』とカライルは云つたが、この樣なあはれな状態に墮落したら、他の宗派と同樣、徒らに信者の數をむさぼる餓鬼道である。
これから、スヰデンボルグ、エメルソン、メーテルリンク三者の愛論を述べて、三者の立ち塲と特色とを比較し、それから自説を述べることにしよう。
(七) 三者の愛論
今、スヰデンボルグ、エメルソン並にメーテルリンクの愛に對する論を比較して見ると、三者の特色もよく分るし、また後に云ふ僕の所論が渠等とどんなに異同があるかも明かになるだらう。
ナポレオンが法律を制定した時、これで以つて人間界の事件はすべて網羅し得たと思つたところが、あとからどし/\その規定外の事が出て來た。カントが十二個の範疇を設けて、悟性上のいろんな概念を統一しようとしたが、渠の思つた通り、それで完全不易な組織が立つわけではなかつた。然し、哲學に系統が立たないからと云つて、僕から云へば、耻づべきことではない[#「然し」〜「耻づべきことではない」に傍点]。それだから、プラトーンにいくら不明なところ、缺陷の點があるにしろ、最古の大哲人でもあり、また諸問題の提出者、解釋者として、詩に於けるホメーロスと同樣、誰れにでも讀まれて居るではないか。殊に愛の問題などになると、乾燥な頭腦で論じたものは、理窟がどんなに附いて居ても、大理石の婦人像と同じで、味ひがないのである。順序として、先づプラトーンの論[#「プラトーンの論」に白三角傍点]を簡單に云つて置くが、渠のイデヤ想起説に據ると、僕等は本性からイデヤを知らないのではない、たゞ忘れて居るのであるから、機に應じて之を想ひ起す、その最も切實なのがエロース(ερωσ)、乃ち愛である。それには階段があつて、形體の美に
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