点]。
 スヰデンボルグはその當時の人には一種の夢想家[#「一種の夢想家」に白三角傍点]に過ぎなかつたが、然しそれが最も實際的の生涯を送つたのは、第一、不思議ではないか。渠は一六八八年にストツクホルムで生れたので、幼時から、山や鑛山へ這入《はい》つて、化學や光學や生理學や數學や天文學などの材料を探し、自分の變化が多い而も容量の大きい頭腦に適當する面影を求めた。小供ながら、渠は詩人ゲーテの樣に多方面の學者風であつたが、ゲーテがたしか鑛山技師にもなつたことがある樣に、渠は二十八歳の時、鑛山局の鑑定官[#「鑛山局の鑑定官」に傍点]になつた。四年間、英、蘭、佛、獨の大學を歴訪したり、また、鑛山並に溶鑛業視察の爲め、歐洲諸國を巡廻したこともある。一七一六年から三十年間は、科學的著述に忙しかつたが、つひに神學の研究に熱中することになつたのだ。
 その間に著述した大册は五十卷以上もあつて、過半は科學論であつた。その時代[#「その時代」に白三角傍点]は、ハーベーの血液循環説が出て居た時代、キルベルトが地球は一種の磁石であると示した時代,近世哲學の開祖デカートが、『われ考ふ、故にわれ在り』と喝破して、つひに自然渦動説を唱へ、ニユートンが『プリンシピヤ』を著はして、引力説を建てた時代,ライブニツツはその實體論にモナド説を主張し、ロツクは英國に於て實驗哲學を唱道した時代である。スヰデンボルグは、かういふ大觀念、大思想の澤山流行した間に處して、尚嶄然たる頭角をあらはして居るのである。
 スヰデンボルグの發表したのは、合一哲學[#「合一哲學」に白三角傍点]とでも云ふべきもので――この思想はプラトーンどころではない、苟も思索に從事したものは皆持つて居たのである。古詩にもある、古い寓言にもある、ベーコンも知つて居たし、プロチノスやベーメの樣な神秘家は尚更ら知つて居たのだが、たゞ謎の樣に發表してあつたのを、スヰデンボルグになつてから、之に獨立的、科學的證明を與へたので、全く新しい色を帶びて來たのである。『歴史は繰り返す』といふ語が、近來諺の樣になつてしまつたが、渠に據れば、自然はいつも同一のことを繰り返して居るのである[#「渠に據れば」〜「居るのである」に傍点]。脊骨のたとへ[#「脊骨のたとへ」に白三角傍点]で云つて見ると、その一端にはまた別な脊骨《せぼね》、乃ち、腕がついて居る,腕の端には、また
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