り當てゝ、萬葉集と詩經とシエキスピヤとミルトンと獨逸語と希臘語と梵語とを研究した。梵語研究などは、金がなくツて、道具が揃へられないので直《ぢ》き中止をしたが、その間にでも、エメルソンは最も面白いので、毎日一回づゝ出て來た科目はこればかりであつた。
そこで、當時、エメルソンを樂天家だとは知らなかつたのである[#「そこで」〜「知らなかつたのである」に白丸傍点]。たゞ字引と首引きで讀んで行くうちに、無性に自分の精神が引き立つて來て、もう、絶望と死の苦みとを感得したと思つて居る自分に取つては、句々節々があらたの悲愁を養つて呉れるやうで、それがたゞ愉快であつたのだ。二年程|經《た》つうちに、エメルソンの形式的方面が厭になつたので、斷然棄てゝしまつたが、その同情的精神の沈痛なのには、當時、自分の頭腦と胸奧とはかき亂されて、また整へられて居たのだ[#「二年程」〜「また整へられて居たのだ」に傍点]。或時など、廣瀬川といふ川のほとりに坐わつて、エメルソンを讀んだが、秋の日はもう沈んだあとで、閑寂のうちに川水の響が何となく奧ゆかしく聽え、ゆふぐれの景色は惻々われに迫つて來た。これは丁度僕がエメルソンの暗示に接する時の樣で、手にした全集のおもては、薄暗い空を飛びかふ夜の羽がひと一緒になつてしまつた樣であつた。そこへ二つ三つ飛んで來たものがあつた。驚いて見まはすと、向ふ岸から小供が二三人、僕を目がけて、狸だ/\と呼んで、石を投げるのであつた。――エメルソンはつひに、僕を、狸と呼ばれる程に、幽暗なところへつれ込んだのであつた[#「エメルソンはつひに」〜「つれ込んだのであつた」に傍点]。
渠を讀んで利益のあるのは、僕等の思想を獨立さして呉れるし、僕等に獨創の見地を發見さして呉れるからである。厭世とか樂天とかいふことは、かれこれ云ふまでもない。その文體[#「その文體」に白三角傍点]をたとへて云へば、一條の流れが涓々《けんけん》[#入力者注(5)]として走り來つて、灣曲また灣曲、渦を卷いてみどりの淵になると、堤上に生へて居る灌木の影を浸して、その深い穩かな水面がまゝ破れて、大きな魚の躍如として跳ね飛ぶことがあるのに似て居る。乾燥無味、内容のない樂天家には、到底エメルソンは分らないのである[#「乾燥無味」〜「分らないのである」に白丸傍点]。僕等の心裡に起つて來る各事件を貫いて居る悲愁を、自分が深
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