マチズム――が餘程勢力を持つて來た。實用といふ語が僕等に何だか厭な感じを與へるが、兎に角、輪廓のみ辿る哲學者等のうちに、僕等の情意的方面にその心を寄せて來たものがあるのは喜ぶべき状態である。知識にせよ、實用にせよ、之を情的に體現するところに、神秘の關門があるのだ。生命はこの關門をくゞつて奔流して來るのである。
どうせ、僕等は實行の活物である。だから、ロングフエローの『人生の歌』も現世主義から出たのであらう。僕も現世主義を發足點とはしたが、うそにも向上的人格を標榜して、自他を欺く樣な考へは持てない。半獸主義の刹那觀は、前にも云つた無目的の表象を喰つて活きて居るのである。それが戰爭とならうが、戀愛とならうが、殘忍酷烈であつて、進歩も墮落も見えるものではない。僕等の靈が刹那の存在を爭ふのであるから[#「僕等の靈が刹那の存在を爭ふのであるから」に傍点]、苦悶その物が生命である[#「苦悶その物が生命である」に白丸傍点]。かの妹を失つた兒がその表象を脊負つて家に歸つた通り、若しこの苦悶を一刹那に擴張し、發展し、實現するものがあつたら、世の知者よりも、豫言者よりも、更らに偉大な人物であるだらう。プロシヤ王のことは度々引用したが、また豐太閤とナポレオン[#「豐太閤とナポレオン」に白三角傍点]とはその好適例であらう。ナポレオンが『意志のあるところ、必らず道あり』と叫んで、大軍を率ゐてアルプスの嶮を越えたのは、僕の半獸主義のモツトオと云つても善い。この時、渠の眼中には以太利もなかつた、墺太利亞もなかつた、獨逸も露西亞もなかつた、恐らく自國の佛蘭西もなかつただらう。その刹那の盲目的奮鬪が渠の大人格であつたのだ[#「その刹那の盲目的奮鬪が渠の大人格であつたのだ」に傍点]。豐太閤に至つては、渠、朝鮮を得たなら、大明に向つただらうし、明國を平らげたら、印度やペルシヤ、否々、世界をも討伐したであらう。然して、その目的とするところは、そんな外界の事件ではなかつた。渠は無意識的に、一國を擧げて、内部必然の安心を得ようとしたのである[#「渠は無意識的に」〜「得ようとしたのである」に傍点]。畢竟、大なる心靈が、大なる自分を喰つて行つたのである[#「畢竟」〜「行つたのである」に白丸傍点]。煩悶の盲動である。だから、光秀征伐時代の秀吉は、機智があまり多くつて、人の同情を引かないが、征韓時代の豐太閤は大愚に
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