、もう、その門内に蝙蝠の樣に飛びかふ、表象を捕へ得ない。だから、流轉を生命とする僕等に人格を強いるのは、却つて人情に反して居ると云はなければならない[#「流轉を生命とする」〜「云はなければならない」に傍点]。――その刹那と共に、少しもとゞまらないのではないか。醫者の方から云はせても、僕等の身體は時々刻々變遷して居るのである。まして、道學者の所謂人格は、移り易い心に關することだ。近いたとへが、僕等が道をあるいて居る時、初めて知つた道だが、ふと、これは以前に一度通つた樣に思はれることがある。心理學者に云はせると、それは精神の錯亂から來ると説明するだらうが、その精神なるものは既に悲愁と痛苦との爲めに亂れて居るのであるから、僕にはそんな説明は當り前としか取れない。進んで云へば、これは、一つの靈が歩行中の一刹那に捕へた考へを、一刹那後の靈が想ひ出して居るのである[#「これは、一つの靈が」〜「居るのである」に白丸傍点]。僕が或時死んだ兒を火葬塲に持つて行き、そこに一夜を過し、遺骨の包みを提げて家の門まで歸つて來ると、もう、その兒が出て來て自分を迎へさうなものだと思つた。僕の靈はその時一日前の状態に返つて居たのである。今一つ例を擧げると、或小兒が、その小妹を失つてから、もう二三年も經《た》つた時、或神社の境内で、死んだ妹にそツくりの兒を見、その母の名を尋ねると、自分の母の名と同じであつたので、之を脊負つて泣きながら自分の家へ連れて來たことがある。この二つの小靈が邂逅した神社は地獄であつたかも知れない、無邪氣な悲痛の刹那がたま/\こゝに暗合したのである。僕等の靈は决して一處に持續して居るものではない[#「僕等の靈は决して一處に持續して居るものではない」に傍点]。現世の形心を土臺にして人格を造り上げようとするのは、砂に文字を書く樣なものである[#「現世の形心を」〜「書く樣なものである」に白三角傍点]。情的實行は、ロングフエローが『人生の歌』に歌つた樣な、『明日毎にわれ等が今日よりも進んで居るのを發見する』のではない。
たゞ單に實行と云つても、僕のは倫理學者などの云ふのとは違つて居よう。プラトーンは、王陽明などと同じ樣に、知行合一を唱へた。ところが、歐米最近の哲學界には、活動を中心として、僕等の經驗が乃ち宇宙その物だといふ立ち塲から、實用にならない知識は知識でないといふ學説――プラグ
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