せよ、日本主義の所謂忠君、國家、商工經濟の精神にせよ、靈魂の獨立努力にせよ、すべて刹那的自我の熱誠と威嚴とから出て來なければ、必要な問題とするに足りないのである[#「すべて刹那的自我の」〜「足りないのである」に傍点]。自我生命の處在が分つてから、はじめて權力の發展が確立する[#「自我生命の」〜「確立する」に白丸傍点]ので――エメルソンの云つた通り、人は各自の家と國とを造る、それが相集つて團結して居る國家と國家とが戰爭をしたのは[#「國家と國家とが戰爭をしたのは」に傍点]、嫌惡を含んだ戀愛[#「嫌惡を含んだ戀愛」に白三角傍点]である[#「である」に傍点]。團結的意志と意志との喰ひ合ひである[#「團結的意志と意志との喰ひ合ひである」に傍点]。その孰れかが一方の表象として呑み込まれてしまうに定つて居る。その間に人道とか、正義とかいふ觀念があらう筈はない[#「その間に人道とか」〜「筈はない」に傍点]――一瞬間の存在を爭ふ時ではないか。最も深い趣味はこの瞬間にあるので、日本が勝つたのは、僕の云ふ刹那的熱誠と威嚴との異名なる、權力が強かつたからである。

 (二十) 情的實行――神秘の鍵

 僕の半獸主義は、國家存立の根本を左右する力である、否、個人その物の死活問題を握つて居るのである。前にも云つた通り、偉大な人物なら、その刹那の生命に大宇宙を活現することも出來る。シヨーペンハウエルは之を消極的に見て、世界即ち意志の知力的斷滅を絶※[#「※」は「口へん+斗」、読みは「きょう」、354−39]したのである,渠に據れば、これには二個の段階があつて、その第一は博愛と慈善とを行ふこと、また第二は俗世を隱遁することだ。第一のは、世の聖人等の行つたところで、自分の存在を忘れて、他の爲めに同情するのであるから、僕には僞善の行爲[#「僞善の行爲」に傍点]としか見えないし、説く者自身も亦たゞ意志を忘却して居るばかりだから完全な方法でないと云つた。それで、第二のはどうかと云ふに、自殺しても意志の滅却にはならないからと云ふ點は僕と同見解であるが、肉體の慾望を一切制止して行くと、段々意志が消滅して、永世の平和に至ると説いたのは、矢張り自殺と同じ結果を來たすのであつて、自殺に由つては、到底、かの運命と共に起滅する悲痛の靈を安んぜしむることが出來ない[#「自殺に由つては」〜「出來ない」に白丸傍点]のは、今
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