のである」に白丸傍点]。
自國の敗亡に臨んで、恬として之を返り見ないものゝ樣に、敵將ナポレオンと相見へて快談した、ゲーテの意氣は諸君も知つて居られよう。これは乃ち獨逸の文藝が、佛蘭西の思想界にも權力を及ぼした象徴である。また、かのペルシヤの大軍を撃退した跡で、アテーナイの文明が頓に勃興したが、これはその以前から見えて居たので、アテーナイ人が敵の大軍をサーモピレーに控へながらも、なほ且、終夜|抃舞《べんぶ》[#入力者注(5)][#入力者注(14)]歡樂に耽り、その宗教上の祭禮に熱狂する程の感興があつたからである。一國として、その根本的活機を握つて居る人物がなければ、その國家は既に滅亡したと同前である[#「一國として」〜「同前である」に傍点]。現今の日本の樣に、戰爭でなければ金錢、商業でなければ賄賂、成功でなければ詐僞,懷疑もない、煩悶もない、戀愛もない、失望もない、情もなければ涙もない有樣では、たゞ得意とから意張りばかり増長して、各個人によつて支へらるゝ國家の生命は空々寂々のものになつてしまうだらう。
第一、今回の日露戰爭に勝利を得た所以[#「日露戰爭に勝利を得た所以」に白三角傍点]を考へて見ても分る。それに就いては、一つ滑稽な話がある――或陋劣な日本人の耶蘇教師が二名、今度、わざ/\アメリカ傳道會社の依囑を受けて、印度へ講演をしに行つたが、その目的は、日本の勝利を得たのは决して非耶蘇教の力ではないといふことを説明するにあるのだ。詳しく云へば、日本主義とか、武士道とか、祖先崇拜とか、佛教儒教とか云ふものが勝利の原因でないから、印度人等も之が爲めに輕々しく耶蘇教を疎んじてはならないと教へる必要が、印度の傳道者仲間に生じたのだ。それで、二名の渡航者は、さま/″\考案したあげくが、耶蘇教と衝突のない科學的研究の應用[#「科學的研究の應用」に傍点]が甘く行つたことを非常な條件にしたさうである。これは笑ふべき窮策としても、一小條件にはなるだらう。木村氏の如きは『日本主義』の活現だと云ひ、また他の人々は『武士道』の影響だと云ふ。また、片山氏の如きは、『靈魂と國家』(帝國文學)に於て、靈魂が『因果の法則より脱がれて、絶對の自由と獨立とを得むとする努力』の然らしめたところだと云はれた。然し、僕は僕の説から、半獸主義の實現を以つて、諸氏の説明を抱含してしまいたい。
武士道の理想に
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