僕等の戀は實に最も悲痛なものである。僕等の靈はよく之を知つて居るので、この一刹那を爭つて、胸中の情熱はその神秘的火焔を最も烈しく擧げる,而して男女の區別を忘れ、獸と靈とを分たない樣になつて、絶頂に達するのである。若しこの一刹那を脱すると、もう、百萬年の樂しい戀も、再び暗黒のうちに葬られてしまうのである。この點から、僕の説を自分で刹那主義[#「刹那主義」に白三角傍点]とも云ふのだ。
所産の兒などは、結婚その物と同樣、別問題に屬して居るので――スパルタでは、小兒を親から分離して、その教育を國家が引き受けたなどは、最も味ひのある制度であつた。小兒はすべて戀の偶然産物である[#「小兒はすべて戀の偶然産物である」に傍点],これは、どこか遠方の暗處に居て、この世に生れて來るのを身づから渇望して居た小靈であつたのだから、親が之を寵愛するのは、たとへば、庭鳥が家鴨の玉子をかへして、自分の子だと思つて大事にしてやると同前――これ、また、何かの表象であらうから、やがて紫の水中に走り込むに相違ないのだ。
(十八) 半獸主義の神體
煩惱即菩提とは、俗曲にまでも亂用してあつて、佛家でさへもう古臭いやうに思つて居よう,然し、この大宇宙のうちに、一つとして全く新しいと云はれるものがあらうか、どうか。歴史といふ棺桶[#「歴史といふ棺桶」に傍点]を一度でもこぐらないものがあらうか、どうか。若しあるとすれば、それは、神も知らない、人間も知らない、また棒振りも、アミーバも、最小原子も知らなかつた世界が、別に何物かに依つて作られた時であらう。暗く光る琵琶湖のおもてを渡つて、今撞き出した三井寺の鐘が響くのは、歴史から云ふと、もう、何千世紀も以前の地獄で、一たび魔鬼のこゝろを驚かした聲である。然し、僕等の靈がその聲を聽いて、一刹那の表象に目が覺めた時は、肉即靈の新天地[#「肉即靈の新天地」に白三角傍点]を活現するのである。たとへば、戀の塲合に於て、人目の關はうるさい、友人の嫉妬は面白い、兩親の干渉は面倒だ、手を握り合ふのは嬉しい、子供の出來るのは心配だ,然し、かう云ふことを考へて居る間は、若し靈肉の人格なるものがあるとすれば、その人格が前後左右の空氣に散亂して居るのであつて、まだ一刹那の活世界を現じ得ないのである。男女が相抱擁する時の樣な熱愛は、到底、道學者輩の敬愛や、親愛や、友愛などゝ同一視すべき
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