同じく、愛なるものは、その解釋の如何に拘らず[#「愛なるものは、その解釋の如何に拘らず」に傍点]、刹那的[#「刹那的」に白三角傍点]だといふことには一致して居る[#「だといふことには一致して居る」に傍点]。それでも、渠はまだ人格なるものを永續的だと思つて居るから、そんな附會を爲すので――人その物がすでに時々刻々變遷して居ることが分れば、もう、他のくど/\した未練は入らないのである。シヨーペンハウエルも滿足の决して持續的なものでないことを云つたが、愛情は萬物と共に刹那的の表現である[#「愛情は萬物と共に刹那的の表現である」に白三角傍点]から、今の花嫁は一分後の老婆である,一分後の花婿は、また一分前の老爺であつたかも知れない。一たび冷えた愛情が再び熱して來る時はあらうが、もう、先きの愛情とは一つでないのである[#「一たび」〜「一つでないのである」に傍点]。僕等は永續的結婚の成立を確立することが出來ない[#「僕等は永續的結婚の成立を確立することが出來ない」に白丸傍点]。一夫一婦とは、その瞬間に於いてのみ眞理である[#「一夫一婦とは、その瞬間に於いてのみ眞理である」に白三角傍点]。
 戀は丁度闇の中に一つの光が現はれた樣なもので、それが僕等の表象であると思へば、消えないうちに、僕等は直ちに之を吸ひ取らうとする。この瞬間は實に偶然に出來るのであつて、對手が貴族のお姫樣であらうが、賤民の子であらうが、そんなことはかまはない。メーテルリンクに據れば、相慕ふのは、何萬年も先きから、その運命で定つて居るわけだが、運命も亦刹那的のものであるから、千萬年は一刹那にあるのである[#「千萬年は一刹那にあるのである」に傍点]。たゞ渠の云つた通り、この刹那に『一つの靈が一つの靈を接吻する』のは事實であつて、この瞬間ほど兩者の自我が利己的奮勵[#「利己的奮勵」に白三角傍点]をする時はない。それもその筈で、僅か一瞬間|經《た》てば、もう、意志はもとの自分を食はなければならないから[#「僅か一瞬間」〜「ならないから」に傍点]、臨時の非我なるものが見えて居る間だけでも、その痛みの感じない他體を食つて、樂みとするのである[#「臨時の非我なるものが」〜「樂みとするのである」に白丸傍点]。然し、光の消えた跡は、以前の闇よりも一段暗く思はれる樣に、なまじツか短い樂みがあつただけ、その跡の悲みは一層増すのだから、
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