路ではなく、お兼《かね》みちと云つて、鹽の湯のお兼と云ふ婆アさんが自分一個で切りひらいた道だ。狹くなつて、而も隨分ひどい坂があるので、自動車は通じない。慣れた車夫は、然し、どうやら斯うやら十丁の道をのぼりつめた。僕よりも一と足さきであつた中年の夫婦づれは、ずるい車夫の爲めに、車をおろされたけれども。
「鹽原は一體に坂みちですから、のぼりの時はからだが延びさうになるし、下だりにはまた腕が拔けさうで――」先般、東京から稼ぎに來た車夫は三名とも一週間とこたへられないで引き上げてしまつたさうだ。
 お兼みちの初まりは兩がはに植ゑ付けたやうな杉と檜の木とで大抵のながめはふさがれてるが、坂の中腹からながめがまた下の方へひらけて、坂の上へ來ると、天狗岩の横手までが高みからずッと見渡された。そこに鹽の湯の大きな宿屋がたッた三軒だけあるのだ。茗荷屋《めうがや》と云ふのが客でふさがつてたので、玉屋と云ふのにあがつた。車は七十錢取つた。宿は一泊貳圓で中等のところだ。
 僕に當つた三階の一室の正面には、川を隔てて一とかたまりの杉の森がその腰から以上を見せてゐる。が、その後ろうわ手も青と赤相ひ半ばの景だ。そして
前へ 次へ
全13ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岩野 泡鳴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング