ではここへ東京日々だけを毎日送つて貰ひたい。大抵の手紙も保留して置いて、誰れから何が來たと云ひさへすればよし。

    *

 湯は並んで大小三室にも別れてゐるが、客としては僕ひとりが自由に占領してゐられるやうなものだ。本館には誰れもゐないやうすだ。
 十月廿九日。曇。今曉二時まで起きてて、今一度湯にあッたまつてからとこに就いた。けふ、晩食後、別館の老人夫婦を訪問して見たら、
「孫がむづかるので、もう、あす歸らうと思ひますが、自動車は癪にさわりましたから、馬車にしようと思つてます」と云つた。馬車で新鹽原まで行き、それから輕便鐵道の便があるのだ。
「僕も歸る時にはさうするかも知れません」と答へた。然し、旅へ出てゐても腰を据ゑてるあひだは、二度と來るか來ないは考へるが、まだ左ほど歸りのことが苦にならぬものだ。
 十月三十日。晴。けさの二時に『子無しの堤』と云ふ、實際に人間らしい小説を五十三枚書き終はつたので、十時に起きて食事をすませると、一と息入れて來るつもりで車上を奧の方へ行つた。福渡りの宿屋が並んでる道を三四丁も行くと、その突き當りに白倉山《しろくらやま》のふもとなる天狗岩と云ふ大き
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