り温泉場の清琴樓と云へば、故尾崎紅葉の爲めに有名になつたも同樣で、もとは小さい宿屋であつたが、他がふさがつてたので斷わられて渠《かれ》はそこへとまつた。そしてそこの場面をかの『金色夜叉《こんじきやしや》』に書き入れたので、今では評判になつて、多くの人々がきそつてそこへ行くが、そしてその場所では一等の家に廣がつたが、土地の人はいまだに清琴樓(紅葉がつけたも同樣の名)など云はれても氣が付かないで、何とか屋と元の名でなければ分らないとのことも話にのぼつた。紅葉や大町氏の書いた物が鹽原にも殘つてると云つて、番頭までが僕にも何か書いて欲しいやうすであつたが、僕は例の通り字がへたなので、遠慮して置いた。
午後一時、これから雜誌人間十二月號の爲めの小説を書き初めるのだ。英枝《ふさえ》よ、これは日記の一節だから、手もとへ行つても、このまま保存して置いて貰ひたい。鹽原は交通が不便な爲め今のところ二度と來るつもりはないから、來た以上、暫らく滯在する。そして『人間』の小説と中央公論へ渡した物の續き四五十枚を書いてしまうあひだに、一度もッと奧の方へ遊びに行つて來るかも知れない。兎に角、轉宿等の知らせが行くま
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