大鴉
藁とぼろ[#「ぼろ」に傍点]とでこしらへた鴉
そのからすを祭れ
きみらは農夫
ひろい黎明《よあけ》の畠にとびだし
しみじみと種子《たね》を蒔いた
種子は一粒一粒
種子は善い種子
その上に土をかけ
太陽にそれをかくした
きみらは農夫
それからといふもの
どんなに畠のことばかりかんがへてゐたことか
そんなこととはしらないで
そんなことともしらないで
鴉めが來てはそれをほじくる
そのからすを祭れ
貧者の詩
みよ、そのぼろ[#「ぼろ」に傍点]を
此のうつくしい冬の飾りを
それから赤い鼻尖を
人間が意志的になると
霜はまつ白だ
指のちぎれさうな此の何ともいへないいみじさ
ふゆを愛せよ
そのぼろ[#「ぼろ」に傍点]の其處此處から
肉體が世界をのぞいてゐる
單純な朝餐
スープと麺麭
そして僅かな野菜
何といふ單純な朝餐《あさげ》であらう
朝も朝
此の新しい一日のはじめ
スープのにほひ
ぱん[#「ぱん」に傍点]のにほひ
その上に蒼天のにほひ
一家三人
何といふ美しい朝餐であらう
屋根から雀もおりて來よ
此の食卓はまづしいけれど
みろ
此の子どもを
此の小さな手にその匙をもつたところを
ひもじさをじつと耐へて
感謝のあたまを低く垂れ
わたしらのやうにたれ
わたしの祈りをしづかにまつてゐるではないか
此の食卓に祝福あれ!
※[#ローマ数字9、1−13−29]
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
すつきりとした蒼天
その高いところ
そこの梢のてつぺんに一はの鶸《ひは》がないてゐる
昨日《きのふ》まで
骨のやうにつつぱつて
ぴゆぴゆ風を切つてゐた
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
それがゆふべの糠雨で
すつかり梢もつやつやと
今朝《けさ》はひかり
煙のやうに伸びひろがつた
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
それがどうしたと言ふのか
そんなことをゆつてゐたのでは飯が食へぬと
ひとびとはせはしい
ひとびとのくるしみ
くるしみは地上一めん
けれど高いところはさすがにしづかだ
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
雨は一粒一粒ものがたる
一日はとつぷりくれて
いまはよるである
晩餐《ゆふげ》ののちをながながと足を伸ばしてねころんでゐる
ながながと足を伸ばしてねころんでゐる自分に
雨は一粒一粒ものがたる
人間のかなしいことを
生けるもののくるしみを
そして燕のきたことを
いつのまにかもうすやすやと眠つてゐる子ども
妻はその子どものきものを縫ひながら
だんだん雨が強くなるので
播いた種子が土から飛びだしはすまいかと
うすぐらい電燈の下で
自分と一しよに心配してゐる
麥畑
此のみどり
ああ此のみどり
生命《いのち》の色!
憂鬱なむぎばたけのうつくしさ
むぎばたけをみてゐると
自分にせまる人間の情慾
此の力のかたまり
人間の強い眞實
これこそ深いところから
浪浪のうねりをもつて湧き上つてくる力だ
そして生生《なまなま》しい土の愛により
どんなに大きな健康を麥ぐさはかんじてゐることか
ああ此の麥ぐさの列
ああ、けふばかりは蒼天《そら》も自分にふさはしく
どこかで雲雀もないてゐる
ああ此のみどり
此の麥のみどりに手を浸して
自分はなみだぐんでゐる
朝
雨戸をがらり引きあけると
どつとそこへ躍りこんだのは日光だ
お! まぶしい
頭蓋《あたま》をがんと一つくらしつけられでもしたやうに
それでわたしの目はくらみ
わたしはそこに直立した
おお
けれど私のきつぱりした朝の目覺めを
どんなに外でまつてゐたのか
此の激烈な日光は!
やがておづおづと痛い目をほそく漸くみひらいて
わたしはみた
わたしはみた
そこに
すばらしい大きな日を
からりとはれた
すべてがちからにみちみちた
あたらしい一日のはじめを
人間苦
何方をむいてみても
ひどく人間はくるしんでゐる
ああ人間ばかりは
人間ばかりか
人間なればこそ自分もこんなにくるしんでゐるのだ
すばらしい都會の大通でも
此の汎いあをあをとした穀物畠ででも
みんな一緒だ
だれもかれもみんなくるしんでゐるのだ
けれどみんなのくるしみをみると
自分はいよいよくるしくなる
みんなといつしよにくるしむのだ
みんなといつしよにくるしむとは言へ
自分等はひとりびとりだ
ひとりを尊べ!
何と言つてもくるしむのだ
自分はひとりでくるしまう
みんなのかはりにくるしまう
一切のくるしみをみな此の肩にのせかけろ
人人よ
そして身も輕輕と自由であれ
空の鳥のやうであれ
萬人を一人で
自分はみんなの幸福のために生きよう
自分はみんなのくるしみに生きよう
かうおもつてみあげた大空
此の滴るやうな深い碧《あを》さ
此のすばらしさ
自分はかくも言ひ知れぬ鋭さにおいて感ずる
人間の激しい意志を
いまこそ強い大地の力を
わたしたちの小さな畑のこと
すこし強い雨でもふりだすと
雀らにかくしてかけた土の下から
種子《たね》はすぐにもとびだしさうであつた
私達はそれをどんなに心配したか
そしてその種子をどんなに愛してゐたことか
それがいつのまにやら
地面の中でしつかりと根をはり
青空をめがけて可愛いい芽をふき
かうして庭の隅つこの小さな畑ででも
其の芽がだんだん莖となり葉となりました
それらの中の或るものなどは
たちまちながくするすると
人間ならば手のやうな蔓さへ伸ばしはじめた
それではじめて隱元豆だとしれました
昨日《きのふ》夕方榾木をそれに立ててやつたら
今朝《けさ》はもう、さもうれしさうにどれにもこれにもからみついてゐるではありませんか
此の外に、蜀黍《たうもろこし》と胡瓜《きうり》と
數種の秋のはなぐさがあります
どれもこれも此の小さな畑のなかで滿足しきつてそだつてゐます
そしてそれらの上に太陽は光をかけ
太陽のひかりは小さな畑から
あたり一めんにあふれてをります
一日のはじめに於て
みろ
太陽はいま世界のはてから上るところだ
此の朝霧の街と家家
此の朝あけの鋭い光線
まづ木木の梢のてつぺんからして
新鮮な意識をあたへる
みづみづしい空よ
からすがなき
すずめがなき
ひとびとはかつきりと目ざめ
おきいで
そして言ふ
お早う
お早うと
よろこびと力に滿ちてはつきりと
おお此の言葉は生きてゐる!
何といふ美しいことば[#「ことば」に傍点]であらう
此の言葉の中に人間の純《きよ》さはいまも殘つてゐる
此の言葉より人間の一日ははじまる
自分達の仕事
自分達の仕事
それは一つの巣をつくるやうなものだ
此の空中にたかく
どんな強風にも落ちないやうな巣をつくれ
そして大地にふかぶかと根ざした木木
その木の梢のてつぺんで
卵を孵へさうとしてゐる鳥は
いまああしてせはしく働いてゐる
毎日毎日
朝から夕まで
あちらの都會の街上で女の髮毛《かみげ》を拾つたり
こちらの村の百姓の藁を一本盜んだり
ああ自分達もあの鳥とおなじだ
けれど鳥にはあのやうな翼がある
自分達には何があるか
ああ
消息
はつなつの木木の梢をわたる風だ
穀物畠の畝からぬけでてきた風だ
わたしらの屋根の上を
それはまるで遠くできく海の音のやうだ
その下にわたしらはすんでゐる
魚類のやうにむつまじくくらしてゐる
風はしめやかだ
たかいあの青空をわたる風だから
時時すういと突刺すやうにつばめ[#「つばめ」に傍点]なんどを飛ばせてよこす
そしてわたしらをびつくりさせる
わたしらはむつまじくくらしてゐる
わたしらは貧しく而もむつまじくくらしてゐる
わたしらは魚類のやうにくらしてゐる
感謝
なんといふはやいことだ
たつたいまおきたばかりのところへ
ステーシヨンから箱が一つ
どつさりととどいた
その箱は遠くからいくつもいくつも隧道《とんねる》をくぐつてきたのだ
黄金《こがね》色した大きな穀物畠を横斷し
威勢のいい急行列車に載せられてきたのだ
そして此の都會のわたしらまできたのだ
みると箱の裂目からなにかでてゐる
それは葱の新芽だ
それから馬鈴薯《じやがいも》と鞘豆と
紫蘇の葉の匂もそこら一ぱいに朝のよろこびを漂はせてゐる
勞働者の詩
ひさしぶりで雨がやんだ
雨あがりの空地《あきち》にでて木を鋸《ひ》きながらうたひだした
わかい木挽はいい聲を張りあげてほれぼれとうたひだした
何といふいい聲なんだ
あたり一めんにひつそりと
その聲に何もかもききほれてゐるやうだ
その聲からだんだん世界は明るくなるやうだ
みろ、そのま上に
起つたところの青空を
草木《くさき》の葉つぱにぴかぴか光る朝露を
一切のものを愛せよ
どんなものでもうつくしい
わかい木挽はいよいよ聲をはりあげて
そのいいこゑで
太陽を萬物の上へよびいだした
老漁夫の詩
人間をみた
それを自分は此のとしよつた一人の漁夫にみた
漁夫は渚につつ立つてゐる
漁夫は海を愛してゐる
そして此のとしになるまで
どんなに海をながめたか
漁夫は海を愛してゐる
いまも此の生きてゐる海を……
じつと目を据ゑ
海をながめてつつ立つた一人の漁夫
此のたくましさはよ
海一ぱいか
海いつぱい
否、海よりも大きい
なんといふすばらしさであらう
此のすばらしさを人間にみる
おお海よ
自分はほんとの人間をみた
此の鐵のやうな骨節《ほねぶし》をみろ
此の赤銅《あかがね》のやうな胴體をみろ
額の下でひかる目をみろ
ああ此の憂鬱な額
深くふかく喰ひこんだその太い力強い皺線《しわ》をよくみろ
自分はほんとの人間をみた
此の漁夫のすべては語る
曾て沖合でみた山のやうな鯨を
たけり狂つた斷崖のやうな波波を
それからおもはず跪いたほど
うつくしく且つ嚴かであつた黎明《よあけ》の太陽を
ああ此のあをあをとしてみはてのつかない大青海原
大海原も此の漁夫の前には小さい
波はよせて來て
そこにくだけて
漁夫のその足もとを洗つてゐる
驟雨の詩
何だらう
あれは
さあさあと
竹やぶのあの音
雨だ
雨だ
おやもうやつてきた
ぽつぽつと大粒で
ああいい
ひさしぶりで
びつしより濡れる草木《くさき》だ
びつしよりぬれろ
苦惱者
何をしてきた
何をしてきたかと自分を責める
自分を嘲ける此の自分
そして誰も知らないとおもふのか
自分はみんな知つてゐる
すつかりわかりきつてゐる
わたしをご覽
ああおそろしい
いけない
いけない
私に觸つてはいけない
私はけがれてゐる
私はいま地獄から飛びだしてきたばかりだ
にほひがするかい
お白粉や香水の匂ひが
あの暗闇で泳ぐほどあびた酒の匂ひが
此の罪惡の激しい樣樣なにほひが
おお腸《はらわた》から吐きだされてくる罪惡の匂ひ
それが私の咽喉《のど》を締める
それが私のくちびるに附着《くつつ》いてゐる
それから此のハンカチーフにちらついてゐる
自分はまだ生きてゐる
まだくたばつてはしまはなかつた
自分はへとへとに疲れてゐる
ゆるしておくれ
ゆるしてくれるか
神も世界もあつたものか
靈魂《たましひ》もかね[#「かね」に傍点]もほまれ[#「ほまれ」に傍点]もあつたものか
此の疲れやうは
まるでとろけてでもしまひさうだ
とろけてしまへ
何だその物凄いほど蒼白い顏は
だが實際、うつくしい目だ
此の頸にながながと蛇のやうにからみついたその腕は
ああゆるしておくれ
そして何にも言はずに寢かしておくれ
私はへとへとにつかれてゐる
なんにもきいてくれるな
こんやは
あしたの朝までは
そつと豚のやうに寢かしておいておくれ
とは言へあの泥水はうまかつた
それに自分は醉つぱらつてゐるんだ
此の言葉は正しい
此のていたらくで知るがいい
而も自分は猶、生きようとしてゐる
自分の顏へ自分の唾のはきかけられぬ此のくやしさ
ああおそろしい
ああ睡い
そつと此のまま寢かしておくれ
だがこんなことが一體、世界にあり得るものか
自分は自分を疑ふのだ
自分は自分をさはつてみた
そして抓つて撲《なぐ》つてかじつてみた
確に自分だ
ああおそろしい
自分は事實を否定
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