強くも鳴いてゐた
蟋蟀は聲をあはせて
はりがねのやうに鳴いてゐた
自分はそれを聞いてゐた
或る日の詩
草の葉つぱがゆれてゐる
その葉がかすかになびいてゐる
あらしが何處かを
いまとほる
いまとほるのか
ひつそりとした此のしづかさ
蜻蛉《とんぼ》、蜻蛉《とんぼ》
此の指さきにきてとまれ
或る日の詩
ひとりは寂しい
群衆の中はさらに寂しい
自分ばかりか
否
おお寂しい人間よ
かくも生《いのち》はさびしいものか
此の眞實に生きよと
木の葉はちる
はらはらとちる
秋の黄昏
みよ、いま世界は黄金色に夕燒けして
此の一日を終るところだ
はらはらとちる木の葉つぱ
記憶の樹木
樹木がすんなりと二本三本
どこでみたのか
その記憶が私を搖すつてゐる……
入日に浸つて黄色くなつた
最後の葉つぱ
その葉の落ちてくるのをそれとなく待つてゐた
それが自分達の上でひるがへり
冬の日は寂しく暗くなりかけた
風の日はいまも其の木木
骨のやうになつた梢の嗄《しはが》れ聲
山
と或るカフヱに飛びこんで
何はさて熱い珈琲を
一ぱい大急ぎ
女が銀のフオークをならべてゐる間も待ちかねて
餓ゑてゐた私は
指尖をソースに浸し
彼奴の肌のやうな寒水石の食卓に
雪のふる山を描いた
その山がわすれられない
道
道は自分の前にはない
それは自分のあしあとだ
これが世界の道だ
これが人間の道だ
この道を蜻蛉《とんぼ》もとほると言へ
初冬の詩
そろそろ都會がうつくしくなる
そして人間の目が險しくなる
初冬
いまにお前の手は熱く
まるで火のやうになるのだ
路上所見
大道なかをあばれてくる風
それに向つて張上げる子どもの聲
風はその聲をうばひさつたよ
けれど子どもはもうその風の鋭い爪もなにもわすれて
むかふの方を歩行《ある》いてゐる
友におくる
友よ
その足の腫物をいたはれ
その金《きん》の腫物を
うづきうづくいたみ
ながれる愛の膿汁
惡い風
街角で私は
惡い風に遭つた
どこかで見たやうな風だ
そうだ
いつか田圃で
子どもの紙鳶をうばつて逃げた
あの風の奴めだ
雪の詩
ちらちらと落ちてきた
雪の群集
どんよりとした空の彼方から
これが冬の飾りであるのか
此の世界への贈り物であるのか
純銀の街と村村と
此の凍えてゐる人人の上にふるか
雪は人間を意志的にする
雪は力を堆積する
そして人間を神神と一しよにする
祝福せよ
子ども等はうれしさに獅子のやうだ
ちらちらと落ちてくる雪
雪の殘忍な靈魂《たましひ》
このうつくしさを頬張り貪り
くるへ
雪もをどれ
雪のやうな子ども等
※[#ローマ数字8、1−13−28]
世界の黎明をみる者におくる詩
鷄の聲にめざめた君達だ
からす[#「からす」に傍点]や雀より早くおきいで
そして畑へ飛びだした君達だ
朝露にびつしよりぬれた君達だ
まだ太陽も上らないのに
君達の額ははやくも汗ばんだ
君達はひろびろとした畑の上で
世界の黎明《よあけ》をみた
それをみるのは君達ばかりだ
此の世のはてからのぼつてくるその太陽を
どんなに君達はおどろかしたことか
君達はしるまい
君達はしるまい
此の若き農夫を思へ!
自分は此の黎明を感じてゐる
自分は感じてゐる
此の氷のやうな闇の底にて目もさえざえと
ふゆの黎明を
遠近《をちこち》でよびかはす鷄の聲聲
人間の新しい日をよびいだすその聲を
ぐらす[#「ぐらす」に傍点]のやうに冴えかへる夜氣
枯れ殘つた草の葉つぱの上に痛痛しい雪のやうな大霜
なにもかもはつきりとした世界の目ざめ
此の永遠の黎明を
自分はつよく感じてゐる
それをどんなにのぞんでゐるか
而も夜はながい
おもへ
朝日にかがやく冬の畑を
大地の中で肥えふとる葱や大根を
それから人類のことを
偉大なもの
偉大なものは砲彈ではない
※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の木のやうな腕である
それはまた金貨でもない
鋼鐵《はがね》の齒をもつ胃ぶくろである
その上に
此の意志だ
強者の詩
人間の此上もなきかなしみは
此のくるしみの世界に生みいだされたことだと云ふか
否!
これこそ人間のよろこびではないか
此のうつくしさが解らないのか
何といふうつくしさであらう
此のくるしみの世界は
此のくるしみに生くることは
みよ
ひろびろとした此の秋の田畠を
重い穗首をたれた穀物
いさましいその刈り手
その穀束をはこび行く馬
ゆたかな天日の光をあびつつ
其處にも此處にも
落穗をひらふ貧しい農婦等
からす[#「からす」に傍点]や雀も一しよであるのか
此のむつましさを知れ
此のうつくしさはどうだ
此の大きなうつくしさはどうだ
此のうつくしさを知るものは強い
此のくるしみの世界にのみ
人間の生きのよろこびはある
人間の生きのよろこびよ
強きものにのみ此の世界はうつくしいのだ
かくして峻嚴な一日ははじまり
かくして人間の一日は終る
強くあれ
病める者へ贈物としての詩
林檎より美しいもの
かすてら[#「かすてら」に傍点]より柔いもの
此の愛をそなたにおくるのだ
此の愛を
雪のやうな此の愛
落葉《おちば》のやうにはらはらと
そなたの上に飜へる
そなたはそれをどうみるか
風の中なる私の愛を……
何といふ冷い手だ
何といふさみしい目だ
おお病める者
そなたのためには純白な雪
そして火のやうな私だ
この愛の中で穀物の種子《たね》のやうな強き生《いのち》をとりかへせ
光りを感じ
しづかに生き
或る日曜日の詩
雪を純白《まつしろ》にいただいた遠方の山山をみつめてゐると
指指の尖から冴えてくるやうだ
ぎらぎら油ぎつて光る
椿や樫の葉つぱ
冷い風に枯草が鳴る
地に伏して鳴る
木木は骸骨のやうだ
その梢の嗄れた生きもののやうな聲聲
險惡な空はせはしさうだ
雲と雲との描く
田畠の上をはしる陰影《かげ》
とろりとした日だまり
ひさしぶりで來てみる公園はすつかり荒れはてた
けれど今日《けふ》は善い日曜日だ
子ども等が何かしてあそんでゐる
落葉《おちば》のやうな子ども等よ
とろりとした日だまり
その光はまるで蜂蜜のやうだ
朝の詩
しののめのお濠端に立ち
お濠に張りつめた
氷をみつめる此の氣持
此のすがすがしさよ
硝子《ぐらす》のやうな手でひつつかんだ
石ころ一つ
その石ころに全身の力をこめて
なげつけた氷の上
石ころはきよろきよろと
小鳥のやうにさへづつてすべつた
(おお太陽!)
おお此の氣持で
人間の街へ飛びこまう
あの石ころのやうに
大風の詩
けふもけふとて
大風は朝からふいた
大風はわたしをふいた
その大風と一しよに
わたしはひねもす
畑で大根をぬいてゐた
農夫の詩
おいらをまつてゐる
あの山かげへ
けふもまたおいらは馬と田圃をすきに行くんだ
あそこは酷い瘠地だけれど
どんなにおいらをまつてるか
すけばそれでも黒黒と
そこに冬ごもりをしてゐた蛙が巣をこはされてぴよんぴよん飛びだす
雀や鴉がどこからともなく群集する
おいらの馬は家中一ばんの働き手だ
おいらは馬と一しよであるのがどんなにすきだか
おいらが馬のかはりをすれば
馬はおいらのことをする
かうしてたがひに生きてゆくんだ
おてんたうさま
ああ、けふといふけふの此の幸福
何といふ大きな蒼天《あをぞら》でせう
そしておいらがうたひだすと
耳をぴんとつつ立てて
ばかに鼻息あらあらしく
犁をもつ手もあぶないほど
おいらの馬はすこし元氣になりすぎます
人間の詩
ぼくは人間がすきだ
人間であれ
それでいい
それだけでいい
いいではないか
ぼくは人間が好きだ
人間であれ
此の目
此の耳
此の口
此の鼻
此の手と足と
何といはうか此の立派さ
頭上《づじやう》に大きな蒼天をいただき
二本の脚で大地をふみしめ
樹木のやうにその上につつ立つ人間
牛のやうな歩行者
蜻蛉《とんぼ》のやうな空中の滑走者
此の人間をおもへ
此の世のはじめ
まだ創造のあしたであつた時を想像してみろ
そこに何があつたか
茫漠としてはてなき荒野
おなじやうな其上の空
その空の太陽
それをみつけたのは人間だ
みんな人間が發見《みつ》けたのだ
みんな人間のものだ
翼あるもの
鰭あるもの
すべての匍ふもの
すべての草木
すべてのものを愛し
すべてのものに美《よ》き名をあたへた人間
一切の價値
一切の意義
一切の法則
一切は人間のさだめたところによつて存在するのだ
人間あつての世界でないか
人間を信ぜよ
此の偉大なる人間を
大地が地上に押しだした生《いのち》の子ども
人間であれ
人間を信ぜよ
鐵のやうな人間の意志を
けだもののやうな人間の愛を
そして神神のやうな人間の自由を
ああ人間はいい
空氣と水と穀物と
それから日光と
そこで繁殖する人間だ
そこで人間は大きくなるのだ
そこで人間はつよくなるのだ
ああ人間はいい
此の人間は生きてゐる
此の人間は生きんとする
人間であれ
人間であることを思へ
人間はいい
ぼくは人間が好きだ
ぼくが一ばん好きなのは何とゆつても人間だ
人間であれ
人間であれ
人間であれ
人間であれ
此の人間はどこからきた
此の人間はどこへ行く
それがなんだ
そんなことはどうでもいい
よくみろ
而して思へ
どんな世界を新しく此の人間がつくりいだすか
どんな時代を新しく此の人間がつくりいだすか
どんな大きな信念を
どんな大きな思想を
どんな大きな藝術を
此の人間が生みいだすか
人間をみろ
人間をみろ
よくみろ
目をすゑてみろ、太陽
永遠を一瞬間に生きる人間
汝の愛《いつく》しむもの
神神も照覽あれ
此の生きてゐる人間を
姙婦を頌する詩
生みのくるしみ
此のくるしみのために
はらめるものよ
おんみはなにをかんずるか
おそろしい胎内のあらし
あらしを思へ
あらしを忍べ
はらめるものは人間である
永遠のはてから來るもの
太陽の愛《いつく》しむもの
生みのくるしみ
おんみのくるしみ
それが世界のよろこびだ
人間の一人が世界に殖えるところに
此のよろこび
此のよろこびを思へ
からりとはれた蒼空のやうな氣持で
やがておんみはみつけるのだ
あらしのわすれていつたものを
その膝の上に
その乳房を吸つてゐるのを
しばらくしのべ
あらしをしのべ
おんみは人間の創造者である
おんみらによつて人間は此の世界にきたる
萬物の讃美をうけよ
人間の母なるおんみ
人間をはらめるおんみ
生めよ
ふえよ
地にみてよ
勝利をあげて來れ、人間
妹におくる
枯葉の下からぞつくりと青い芽をだしてゐるみづくさ
すんなりとのびてゐる木木
ひらひらしてゐるのはその木木の嫩葉だ
あたりにさへづる鶸やのじこ[#「のじこ」に傍点]
落窪からちろちろと雪解の水がながれてゐる
その水のきよらかさ
その水のきよらかさは
いもうとよ
それはそなたの愛のやうだ
ひとにかくしたくちつけにとけてながれるそなたの愛だ
十字架
十字架のおもさは齒をたて
むごたらしくも肉體に喰入る
苦しむものの愛する十字架
苦しむものよ
にんげんこそまことのキリスト
そして道はながい
ゴルゴダへの此の道
どこまで行つたらつきるのか
肩の上の十字架
よろめく足を踏みしめて進み行く
くるしみをじつと耐へてすすみ行く
みそなはせ
主よ、人間のこの強さを……
鞴祭の詩
自分の意志はあかあかと
みよ、うつくしくやけただれてゐる
鐵砧《かなしき》の上なる意志を
鋼鐵《はがね》のやうな此の意志を
打て!
鐵槌をふりかざせ
とびちるものは火花の吐息だ
とびちるものは自分の吐息だ
くるしい
くるしいから美しいのだ
生きのくるしみ
それが人間にこもつて力となるのか
世界の黎明《よあけ》よ
研ぎすました此の冴え
ふれれば切れるやうな空氣
鋼鐵のやうな自分の此の意志
それを鍛へる自分の力
くるしめ
くるしめ
鐵砧の上できたへろ
とんかんと
此のいい音響《おと》で冬めを祭れ
鴉祭の詩
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