うち[#「みうち」に傍点]に湧いてくる大きな力
ぐたぐたになつてゐた體躯《からだ》もどつしりと
だがその腕をみようとはするな
見ようとすれば忽ちに力は消えてなくなるのだ
盲者《めくら》のやうに信じてあれ
ああ生きのくるしみ
その激しさにひとしほ強くその腕を自分は感ずる
幸《さち》薄《うす》しとて呟くな
どこかに大きな腕があるのだ
人間よ
此のみえない腕をまくらにやすらかに
抱かれて眠れ
先驅者の詩
此の道をゆけ
此のおそろしい嵐の道を
はしれ
大きな力をふかぶかと
彼方《かなた》に感じ
彼方をめがけ
わき目もふらず
ふりかへらず
邪魔するものは家でも木でもけちらして
あらしのやうに
そのあとのことなど問ふな
勇敢であれ
それでいい
※[#ローマ数字6、1−13−26]
秋ぐち
〔TO K.TO^YAMA.〕
さみしい妻子をひきつれて
遙遙とともは此地を去る
渡り鳥よりいちはやく
そして何處《どこ》へ行かうとするのか
そのあしもとから曳くたよりない陰影《かげ》
そのかげを風に搖らすな
秋ぐちのうみぎしに
錨はあかく錆びてゐる
みあげるやうな崖の上には桔梗や山百合がさいてゐる
紺青色の天《そら》よりわたしの手は冷い
友よ
おん身のまづしさは酷すぎる
而もおん身の落窪んだその目のおくに眞實は汚れない
生《いのち》を知れ
友よ
人間は此の大きな自然のなかで銘銘に苦んでゐるのだ
しづかに行け
此の世界のはじめもこんなであつたか
うすむらさきのもやのはれゆく
海をみろ
此のすきとほつた海の感覺
ああ此の黎明
この世界のはじめもこんなであつたか
さざなみのうちよせるなぎさから
ひろびろとした海にむかつて
一人のとしよつた漁夫がその掌《て》をあはせてゐる
渚につけた千鳥のあしあともはつきりと
けさ海は靜穩《おだや》かである
ひとりごと
一日中のはげしい勞働によつて
ぐつたりとつかれた體躯《からだ》
今朝《けさ》みると
むくむくと肥え太り
それがなみなみと力を漲らしてゐる
そしてあふれるばかりになつてゐる
それは大きな水槽が綺麗な水を一ぱいたたへてゐるやうだ
たらたらと水槽には筧の水がしたたるのだが
おお此の肉體の力はよ
それは眠つてゐるまに何處《どこ》から來たか
力はあふれる水のやうなものだ
肉體から充ちあふれさうな此の力
それをまたけふもけふとて彼方《かなた》で頻りに待つてゐる
あの丘つづきの穀物畠
あの色づいて波立てる麥の畠をおもへ
此の新しい日のひかり
新しくあれ
ゆたかな力のよろこびに生きろ
新聞紙の詩
けふ此頃の新聞紙をみろ
此の血みどろの活字をみろ
目をみひらいて讀め
これが世界の現象《ありさま》である
これが今では人間の日日の生活となつたのだ
これが人類の生活であるか
これが人間の仕事であるか
ああ慘酷に巣くはれた人間種族
何といふ怖しい時代であらう
牙を鳴らして噛合ふ
此の呪はれた人間をみろ
全世界を手にとるやうにみせる一枚の新聞紙
その隅から隅まで目をとほせ
活字の下をほじくつてみろ
その何處かに赭土の痩せた穀物畠はないか
注意せよ
そしてその畝畝の間にしのびかくれて
世界のことなどは何も知らず
よしんばこれが人間の終焉《をはり》であればとて
貧しい農夫はわれと妻子のくふ穀物を作らねばならない
そこに殘つた原始の時代
そこから再び世界は息をふきかへすのだ
おお黄金色《こがねいろ》した穀物畠の幻想
此の黄金色した幻想に實のる希望《のぞみ》よ
汽車の詩
信號機《シグナル》がかたりと下りた
そこへ重重しい地響をたてて
大旋風のやうに堂々と突進してきた汽車
みろ
並行し交叉してゐる幾條のれーる[#「れーる」に傍点]のなかへ
その中の一本の線をえらんで
飛びこんできた此の的確さ
そしてぴたりとぷらつとほーむ[#「ぷらつとほーむ」に傍点]で正しくとまつた
此立派さを何といはうか
此の勇敢は壓迫する
けれど道は遠い
※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]罐《ヱンジン》をば水と石炭とでたつぷり滿たせ
而して語れ
子どもらの歡呼をうけてきたことを
それから女の首と手足をばらばらにしたことを
木も家もひつくりかへして見せたことを
子どもらの愛するものよ
此の力強さを自分も愛する
都會の詩
煤烟はうつくしい
その煤烟で一ぱいになつた世界だ
その中にある此の大都會
働く者のかほをみろ
その手足をみろ
何といふ崇高《けだか》いことだ
ああ煤烟
その中でうめく勞働者の群
ふしぎなこともあればあるものだ
これが新鮮で
而も立派にみえるのだ
なにもかも慘酷のすることだ
ああたまらない
ひきつけられる
都會の詩
けむりの渦卷く
薄暮の都會
ぽつと花のやうに點じ
蔓のやうな燈線のいたるところで
黄金色に匂ふ燭光のうつくしさよ
黄金色に匂ふ千萬の燭光
みろ
都會はまるで晝のやうだ
だいあもんど[#「だいあもんど」に傍点]がなんだ
るびい[#「るびい」に傍点]がなんだ
此の壯麗な都會の街街家家
ここに棲む人間なればこそどんな苦みをも耐へるのだ
ここにすむ人間の幸福
ああ何もいらない
此の壯麗に匹敵するものは何か
此の幸福の上にあつて
都會は生きてゐる
よるのふけるにしたがつて
よるがふければふけるほど
だんだん都會は美しく光りかがやき
ここで疲れた人間が神神のやうに嚴かな眼瞼《まぶた》を靜にとぢるのだ
此のうつくしさは生きてゐる
握手
どうしたといふのだ
そのみすぼらしいしをれやうは
そのげつそりと痩せたところはまるで根のない草のやうだ
おい兄弟
どうしたといふのだ
何はともあれ握手をもつてはじめることだ
さあその手をだしたまへ
しつかりと自分が握つてやる
大麥を刈りとつた畠に
これはいま秋そば[#「そば」に傍点]を播きつけてきた手だ
どんなことでもしつてゐる手だ
どんなことにも耐へてきた手だ
土臭いとて顏を蹙めるな
此の手は君に確信を與へる
ぐつとつきだせ
もぢもぢするのは耻づべき行爲だ
君もその手に力をこめて
そして自分の痛いといふほど
握りかへしてくれ
それでよろしい
強く正しく直立《つつた》て!
故郷にかへつた時
これではない
こんなものではない
自分が子どもでみた世界は
山山だつてこんなにみすぼらしく低くはなかつた
何もかもうつくしかつた
太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ
一日の終りのその束の間をいろどつてゆつたりと
太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ
大きなうねりを打つて
いくへにもかさなりあつた丘の畑と畑とのかなたに
赤赤しい夕燒け空
枯草を山のやうに積んだ荷馬車がかたことと
その下をいくつもつづいてとほつた
何といふやすらかさだ
此の大きいやすらかな世界に生きながら人間は苦んでゐる
そして銘々にくるしんでゐる
それがうつくしいのだ
此のうつくしさだ
どこか深いところで啼いてゐるこほろぎ[#「こほろぎ」に傍点]
自分を遠いとほいむかしの方へひつぱつてゆくその聲
けれど過ぎさつた日がどうなるものか
何もかも明日《あした》のことだ
何もかも明日のことだ
※[#ローマ数字7、1−13−27]
自分はさみしく考へてゐる
ひとびとを喜ばすのは善いことである
自分をよろこばすのは更に善いことである
ひとびとをよろこばすことは
或は出來るかも知れぬ
自分をよろこばすことは大切であるが容易でない
物といふあらゆる物の正しさ
みなその位置を正しく占めてゐる秋の一日
すつきりと冴えた此の手よ
痩せほそつた指指よ
こんなことを自分はひとり考へてゐる
なんといふさみしい自分の陰影《かげ》であらう
蝗
くるしみはうつくしい
人間の此の生きのくるしみ
これは人間ばかりでない
これが自然の深い大きな意志であるのか
深藍色にすつきりとした空
秋の日のうすらさみしさ
あちらこちらの畦畦にみすぼらしい彼等をみよ
女達と子ども等と
その手をのがれて逃げまどふ蝗蟲《いなご》を
ひつそりと貧しい村村
ながながしい鷄の聲
田の面はひろびろと凪ぎ
蝗蟲がぴよんぴよん飛んでゐる
それをつかまへようとしてあらそひ
それを追つ驅けまはしてゐる彼等
しきりにぴよんぴよんと
弱弱しい晝過ぎの光線を亂してとんでゐる
そしてまんまと捕へられる蝗蟲よ
愛の力
穀物に重い穗首をたれさせる愛のちからは大きい
赤赤しい秋の日
ひろびろとした穀物畠
ひろびろと
としよつた農夫はそれに見惚れ
煙管の吸ひ殼をはたきながら
いたづらな雀や鴉に何をかたつてゐるのか
ゆたかに實のつた穀物は金《きん》の穗首をひくくたれて
だまつてそれを聞いてゐる
穀物に重い穗首をたれさせる愛のちからは大きい
黄銅《あかがね》のやうなその農夫のあたまの上に
蜻蛉が一ぴき光つてゐる
何といふ靜かさであらう
人間の神
手に大鍬をつつぱつて
ひろびろとした穀物畠の上をしみじみ眺めてゐる
としよつた農夫の顏よ
その顏の神神しさよ
農夫は世界のたましひである
農夫は人間の神である
黎明《よあけ》からのはげしい勞働によつて
崖壁のやうな胸をながれる脂汗
その胸にたたへた人間の愛によつて
穀物は重い穗首をひくく垂れた
みよ一日はまさに終らんとしてゐる
赤赤しい夕燒け空
大鍬の泥土《どろ》をかきおとすのもわすれて
農夫はひろびろとした穀物畠を飽かずながめてゐる
その彼方《かなた》にあかあかと
太陽は今やすらかにはいつて行くところだ
秋のよろこびの詩
青竹が納屋《なや》の天井の梁にしばりつけられると
大きな摺臼は力強い手によつてひとりでに廻りはじめる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
金《きん》の穀物は亂暴にもその摺臼に投げこまれて
そこでなかのいい若衆《わかいしゆ》と娘つ子のひそひそばなしを聞かせられてゐる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
ごろごろごろごろ
何といふいい音だらう
あちらでもこちらでもこんな音がするやうになると
お月樣はまんまるくなるんだ
そしてもうひもじがるものもなくなつた
ああ收穫のよろこびを
ごろごろごろごろ
世界のはてからはてまでつたへて
ごろごろごろごろ
草の葉つぱの詩
晩秋の黄金色のひかりを浴びて
野獸の脊の毛のやうに荒荒しく簇生してゐる草の葉つぱ
一まいの草の葉つぱですら
人間などのもたない美しさをもつ
その草の葉つぱの上を
素足ではしつて行つたものがある
素足でその上をはしつて行つたものに
そよ風は何をささやいたか
こんなことにもおどろくほど
ああ人間の惱みは大きい
素足でその上をはしつて行つたものがあると
草の葉つぱが騷いでゐる
或る風景
みろ
大暴風の蹶ちらした世界を
此のさつぱりした慘酷《むごた》らしさを
骸骨のやうになつた木のてつぺんにとまつて
きりきり百舌鳥《もず》がさけんでゐる
けろりとした小春日和
けろりとはれた此の蒼空よ
此のひろびろとした蒼空をあふいで耻ぢろ
大暴風が汝等のあたまの上を過ぐる時
汝等は何をしてゐた
その大暴風が汝等に呼びさまさうとしたのは何か
汝等はしらない
汝等の中にふかく睡つてゐるものを
そして汝等はおそれおののき兩手で耳をおさへてゐた
なんといふみぐるしさだ
人間であることをわすれてあつたか
人間であるからに恥ぢよと
けろりとはれ
あたらしく痛痛しいほどさつぱりとした蒼空
その下で汝等はもうあらし[#「あらし」に傍点]も何も打ちわすれて
ごろごろと地上に落ちて轉つてゐる果實《きのみ》
泥だらけの青い果實をひろつてゐる
雪ふり蟲
いちはやく
こどもはみつけた
とんでゐる雪ふり蟲を
而も私はまだ
一つのことを考へてゐる
冬近く
お前の目はふかい
それはまるで淵のやうだ
冬近く
その目の中にぽつちり……
ぽつちりと點じた一つの灯を思へ
此の眞實に生きよ
いまは薄暮である
此のさびしさを愛せよ
蟋蟀
記憶せよ
あの夜のことを
あの暴風雨を
あの暴風雨にも鳴きやめず
ほそぼそと力
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