くれ
ああ何でもしつてゐる大地
そして女よ
曾て彼等の讃美のまつただ中に立ちながら
ひとときのやすらかさもなかつた
おんみを蛆蟲はいま待つてゐるのだ
あらゆるものに永遠の生をあたへ
あらゆるものをきよむる大地
此の大地を信ぜよ
人間の罪の犧牲としておんみは死んでくださるか
自分はおんみを拜んでゐる
彼等はなんにもしらないのだ
わかりましたか
そして吾等の骨肉よ
いま一どこちらを向いて
おんみのあとにのこる世界をよくみておくれ

  溺死者の妻におくる詩

おんみのかなしみは大きい
女よ
おんみは靈魂《たましひ》を奪ひ去られた人間
おんみの生《ライフ》は新しく今日からはじまる
その行末は海のやうだ
そしてさみしい影を引くおんみ
けふもけふとて人人はそれを見たと言ふ
何んにも知らずにすやすやとねむつたあかんぼ
そのあかんぼを脊負つて泣きながら
渚をあちらこちらと彷徨《さまよ》つてゐるおんみの殘すその足あと
その足あとを洗ひけす波波
女よ
おんみは此の怖ろしい海をにくむか
にくんではならない
おんみは此のひろびろとした海を恨むか
うらんではならない
海でないならと呟くな
ああそれが海である悲しさに於て
靜におもへ
海はただ轟轟と吼えてゐるばかりだ
波は岸を噛みただ荒狂つてゐるばかりだ
海に惡意がどこにある
それは自然だ
けれど溺れる人間の小ささよ
人間の無力を知れ
溺れたものがどうなるか
いたづらになげきかなしむことをやめ
それよりは脊負ふその子を立派に育てることだ
強く強く
海より強く
波より強く
その手の上に眠る海
その手の下に息を殺した暴風《あらし》と波と
此の壯大な幻想を
あかんぼの未來に描け
それをたのしみに生きろ
その子のちからが此の大海を統御する時
おんみはもはや惡まず恨まず
此の海をながめ
此の海の無私をみとめて
はじめて人間を知るであらう
人間を
そして此の海をかき抱いて愛するであらう
而もおんみはそれまでに
いくたび海に悲しくも語らねばならぬか
せめてその屍體《なきがら》なりと返してよと
ああ若くして頼《よ》るべなき寡婦《やもめ》よ

  大きな腕の詩

どこにか大きな腕がある
自分はそれを感ずる
自分はそれが何處にあるか知らない
それに就ては何も知らない
而もこれは何といふ力強さか
その腕をおもへ
その腕をおもへば
どんな時でも何處からともなく此のみうち[#「みうち」に傍点]に湧いてくる大きな力
ぐたぐたになつてゐた體躯《からだ》もどつしりと
だがその腕をみようとはするな
見ようとすれば忽ちに力は消えてなくなるのだ
盲者《めくら》のやうに信じてあれ
ああ生きのくるしみ
その激しさにひとしほ強くその腕を自分は感ずる
幸《さち》薄《うす》しとて呟くな
どこかに大きな腕があるのだ
人間よ
此のみえない腕をまくらにやすらかに
抱かれて眠れ

  先驅者の詩

此の道をゆけ
此のおそろしい嵐の道を
はしれ
大きな力をふかぶかと
彼方《かなた》に感じ
彼方をめがけ
わき目もふらず
ふりかへらず
邪魔するものは家でも木でもけちらして
あらしのやうに
そのあとのことなど問ふな
勇敢であれ
それでいい

 ※[#ローマ数字6、1−13−26]


  秋ぐち
    〔TO K.TO^YAMA.〕

さみしい妻子をひきつれて
遙遙とともは此地を去る
渡り鳥よりいちはやく
そして何處《どこ》へ行かうとするのか
そのあしもとから曳くたよりない陰影《かげ》
そのかげを風に搖らすな
秋ぐちのうみぎしに
錨はあかく錆びてゐる
みあげるやうな崖の上には桔梗や山百合がさいてゐる
紺青色の天《そら》よりわたしの手は冷い

友よ
おん身のまづしさは酷すぎる
而もおん身の落窪んだその目のおくに眞實は汚れない
生《いのち》を知れ
友よ
人間は此の大きな自然のなかで銘銘に苦んでゐるのだ
しづかに行け

  此の世界のはじめもこんなであつたか

うすむらさきのもやのはれゆく
海をみろ
此のすきとほつた海の感覺
ああ此の黎明
この世界のはじめもこんなであつたか
さざなみのうちよせるなぎさから
ひろびろとした海にむかつて
一人のとしよつた漁夫がその掌《て》をあはせてゐる
渚につけた千鳥のあしあともはつきりと
けさ海は靜穩《おだや》かである

  ひとりごと

一日中のはげしい勞働によつて
ぐつたりとつかれた體躯《からだ》
今朝《けさ》みると
むくむくと肥え太り
それがなみなみと力を漲らしてゐる
そしてあふれるばかりになつてゐる
それは大きな水槽が綺麗な水を一ぱいたたへてゐるやうだ
たらたらと水槽には筧の水がしたたるのだが
おお此の肉體の力はよ
それは眠つてゐるまに何處《どこ》から來たか
力はあふれる水のやうなものだ
肉體から充ちあふれさうな此の力
それをまた
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