は現実も無く神秘もまた有り得ない。生命は神秘である。生命は現実である。生命の神秘は現実でありその現実は神秘である。生命に於ては現実と神秘と一であつて二では無い。絶対であつて相対ではないが、同時に二であり、相対である。生命は ALL である。また、生命は本質として不可見であり、個体として可見であるといふ。此の場合、本質といひ個体といふも、世に本質なき個体なく個体なき本質もまた無いのではあるまいか。可見の本質、それが生命ではあるまいか。さあれ、生命そのものに依らず、人間は人間としての理智(人間が生命を創造せんとする時、それは理智の摸倣であり虚偽の創造である)に於て多くの不可見なる個体を持つのではあるまいか。
氏の尊敬すべき直接は自然へであつて、此の生命へでないとすればその芸術は第二義以下である。純粋な象徴ではない。氏は外に見る人であるか。内に聴く人であるか。創作となつて表現される前の芸術をその何れの世界に持つてをられるのであらうか。
生命ほど古きものが他になく、そしてまた生命ほど新しいものが他にない。生命はいつも原始である。
かつて人間はその古きものであり、今、此のあたらしきものであ
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