は人間《にんげん》だ、すこし窮屈《きうくつ》は窮屈《きうくつ》だが、それも風流《ふうりゆう》でおもしろいや。や、海《うみ》がみえるぞ、や、や、船《ふね》だ船《ふね》だ。なんといふことだ。子《こ》ども等《ら》もつれてくるんだつけな。どんなによろこぶだらう、お、お、電車《でんしや》、活動寫眞《くわつどう》の樂隊《がくたい》。とうとう町《まち》へ來《き》たんだな。えツ、ほんとに嬶《かゝあ》や子《こ》ども等《ら》をつれてくるんだつたに。あれ、向《むか》ふにみへるのは何《なん》だ。王樣《わうさま》の御殿《ごてん》かもしれねえ、自分《じぶん》はあそこへ行《ゆ》くのだらう。きつと王樣《わうさま》が自分《じぶん》をお召《め》しになつたんだ。お目《め》に懸《かゝ》つたら何《なに》を第《だい》一に言《ゆ》はう。そうだ。自分《じぶん》の主人《しゆじん》は慾張《よくばり》で、ろくなものを自分《じぶん》にも自分《じぶん》の子《こ》ども等《ら》にも食《た》べさせません、よく王樣《わうさま》の御威嚴《ごゐげん》をもつて叱《しか》つて頂《いたゞ》きたい。と、それから次《つぎ》には……」
 かたりと荷車《にぐるま》がとまりました。豚《ぶた》は、はつとわれ[#「われ」に傍点]にかへつてみあげました。そこには縣立《けんりつ》畜獸《ちくじう》屠殺所《とさつじよ》といふ大《おほ》きな看板《かんばん》が掛《かゝ》かつてゐました。


 虻の一生

 かんかん日《ひ》の照《て》る炎天《えんてん》につツ立《た》つて、牛《うし》がなにか考《かんが》えごとをしてゐました。虻《あぶ》がどこからかとんできて、ぶんぶんその周圍《まはり》をめぐつて騷《さわ》いでゐました。
 あまり喧《やかま》しいので、さすがに忍耐《にんたい》強《づよ》い牛《うし》も我慢《がまん》がし切《き》れなくなつたと見《み》え
「うるせえ、ちと彼方《あつち》へ行《い》つててくれ」と言《い》ひました。虻《あぶ》のやんちやん、そんなことは耳《みゝ》にもいれず、ますます蠅《はひ》などまで呼集《よびあつ》めて飛《と》び廻《まは》つてゐました。
「うるせえツたら」
「え」
「ちつと何處《どこ》へか行《い》つててくれよ」
「何《なん》で」
「うるせえから」
「はい、はい」
 けれど仲々《なか/\》、行《ゆ》かうとはしません。
「はやく行《い》げ」
「行《ゆ》きますよ。だがね、おぢさん、此處《こゝ》はあんたばかりの世界《せかい》ぢやありませんよ」
「それはさうだ」
「そんなら、そんなに、がみがみゆはないつたつていいでせう。そうじやないですか」
 牛《うし》はだまりこみました。虻《あぶ》はあいかわらず。そして酷《ひど》く相手《あひて》の腹《はら》をたてました。
 も一ど、それでも牛《うし》は
「お願《ねが》ひだから、靜《しづか》にしてゐてくんな」と頼《たの》みました。靜《しづ》かになつたやうでした。すると、こんどは虻《あぶ》の奴《やつ》、銀《ぎん》の手槍《てやり》でちくりちくりと處《ところ》嫌《きら》はず、肥太《こえふと》つた牛《うし》の體《からだ》を刺《さ》しはじめました。
 堪忍嚢《かんにんぶくろ》の緒《を》は切《き》れました。それでも強《つよ》い角《つの》をつかうほどでもありません。
 ぴゆツと一とふり尻尾《しつぽ》をふると、びちやりと大《おほ》きな腹《はら》の上《うへ》で、めちやめちやに潰《つぶ》れて死《し》んでしまひました。
 虻《あぶ》は生《うま》れてまだ幾日《いくにち》にもなりませんでした。
 そしてこれがその短《みぢか》い一|生《しやう》でした。


 泥棒

 泥棒《どろぼう》が監獄《かんごく》をやぶつて逃《に》げました。月《つき》の光《ひかり》をたよりにして、山《やま》の山《やま》の山奥《やまおく》の、やつと深《ふか》い谿間《たにま》にかくれました。普通《なみ》、大抵《たいてい》の骨折《ほねを》りではありませんでした。そこで綿《わた》のやうに疲勞《つか》れて眠《ねむ》りにつきました。草《くさ》を敷《し》き、石《いし》を枕《まくら》にして、そしてぐつすりと。
 朝《あさ》。
 神樣《かみさま》がそれを御覧《ごらん》になりました。これは、なんといふ瘻《やつ》れた寢顏《ねがほ》だらう。
「おお、わが子《こ》よ」と仰《おほ》せられて、人間《にんげん》どもの知《し》らない聖《きよ》い尊《たつと》いなみだをほろりと落《おと》されました。
 それをみてゐた朝起《あさお》きのひたき[#「ひたき」に傍点]も、おもはず貰《もら》ひ泣《な》きをいたしました。

[#底本には、本文から離れた位置に「もつて。」と誤植]


 星の國

 山《やま》の中《なか》に古池《ふるいけ》がありました。そこに蛙《かへる》の一|族《ぞく》が何不自由《なにふじいう》なく暮《く》らして、住《す》んでをりました。
 あるとき木菟《みゝずく》が水《みづ》をのみにきて、その蛙《かへる》の一ぴきに逢《あ》ひました。
「やあ、しばらくだね、蛙君《かへるくん》」
「木菟《みゝづく》さんか、何處《どこ》へ行《い》つてゐたんです」
「あんまり一つ所《どころ》も飽《あ》きたんで、あれから方々《はう/″\》、飛《と》び廻《まは》つてきたよ」
「へえ」
「何《なに》かおもしろい話《はなし》でもないかい」
「それは俺《わし》の方《ほう》からいふ言葉《ことば》でさあ。こうして此處《こゝ》で生《うま》れて此處《こゝ》でまた死《し》ぬ俺等《わしら》です。一つ旅《たび》の土産《みやげ》はなしでもきかせてくれませんか」
「とりわけてこれと云《い》ふ……何處《どこ》もみんな同《おんな》じですがね。……だが、あの星《ほし》の國《くに》へあそびに行《い》つて、宵《よひ》のうつくしい明星樣《めうじやうさま》にもてなされたのだけは、おらが一|生《しやう》一|代《だい》の光榮《くわうえい》さ」
 と、蛙《かへる》がそれを遮《さへぎ》つて
「俺《わし》がいくら世間見《せけんみ》ずだと言《い》つて、出鱈目《でたらめ》はごめんですよ」
「何《なに》が出鱈目《でたらめ》だい」
「何《なに》がつて、あんたにや水潜《みづもぐ》りはできめえ。星《ほし》の國《くに》はね。此《こ》の池《いけ》の水底《みづそこ》にあるんですぜ」
「え」
「それでも嘘《うそ》でねえと云《い》ふんですか」
 すると木菟《みゝづく》が
「蛙君《かへるくん》、きみはまあ何《なに》をゆつてるんだ。星《ほし》の國《くに》は、こうした樹《き》の上《うへ》の、そのもつと高《たか》いたかあいところにある天空《そら》なんだよ」
「そんなら二つあるのかね」
「二つなもんか、その天空《そら》にあるツきりさ」
「そんなことがあつてたまるもんか」
「馬鹿《ばか》だなあ」
「どつちが」
 どつちもその所信《しよしん》を棄《す》てません。そのうちに、とつぷりと日《ひ》がくれて、月《つき》がでました。星《ほし》もでました。
 蛙《かえる》が口惜《くや》しがつて
「あれ、あれが何《なに》よりの證據《しやうこ》じやないか、みたまへ。水《みづ》の底《そこ》を……」
 木菟《みゝづく》が
「なるほどな。けれど上《うへ》をごらん、あれは何《なん》んだい」
「おお」と蛙《かへる》はおどろきました。
 なんだか急《きふ》に池《いけ》の中《なか》がさわがしくなりました。魚類《さかなたち》がいつもの舞踏《ダンス》をはじめたのです。それをみると、もう飛立《とびた》つばかりにうれしくなり、何《なに》もかもすつかり忘《わす》れて
 木菟《みゝづく》が
「ほう、ほう、ほろすけほ」
 蛙《かへる》も
「がちがちがちがち」


 鯛の子

 ある日《ひ》、鯛《たひ》の子《こ》が
「お父樣《とうさま》、しばらくお暇《いとま》が戴《いただき》きたうございます」とおそるおそる父《ちゝ》の前《まへ》にでて、お願《ねが》ひしました。そして心《こゝろ》の中《うち》では、どうか聽容《きゝい》れてくれるといいが。
 父鯛《おやだい》はそれと聞《き》いて
「おお、汝《そち》は暇《いとま》をもらつて何《なん》とするのか」
「はい、旅《たび》に出《で》やうと思《おも》ひまして」
「む、旅《たび》に」
「はい」
「何處《どこ》へ、そしてまた、何《なに》しに行《ゆ》く」
「はい。私《わたし》はつくづく自分《じぶん》に智慧《ちゑ》の無《な》いことを知《し》りました」
「それで」
「それで、これから廣《ひろ》い世界《せかい》をめぐつて、もつともつと樣々《さま/″\》のことを見《み》たり聞《き》いたりしたいのです」
「それもよからう。けれど汝《そち》は卑《いや》しくも魚族《ぎよぞく》の王《わう》の、此《こ》の父《ちゝ》が世《よ》をさつたらばその後《あと》を嗣《つ》ぐべき尊嚴《たうと》い身分《みぶん》じや。决《けつ》して輕々《かろ/″\》しいことをしてはならない。よいか」
「はい」
「それが解《わか》つたら、すべては汝《そち》の自由《じいう》に委《まか》せる」
 生《うま》れてはじめての鯛《たひ》の子《こ》の旅《たび》! 從者《じうしや》もつれず唯《ただ》、獨《ひと》りはじめの七|日《か》十|日《か》は何《なに》かと物珍《ものめづ》らしくおもしろかつたが、段々《だん/″\》と日《ひ》を追《を》つて澤山《たくさん》のくるしいことや悲《かな》しいことが、到《いた》るところに待伏《まちぶせ》し、とり圍《かこ》み、且《か》つ攻寄《せめよ》せてくるのでした。
「自分《じぶん》は鯛王《たひわう》の子《こ》だ。失敬《しつけい》なことをするな」
 すると鮫《さめ》が「おい、みんな此《こ》の氣狂《きちが》ひを來《き》てみろ」
 鱶《ふか》が
「小僧《こぞう》! おめえ迷兒《まいご》か、どこからきたんだ。だれか尋《たづ》ねる者《もの》でもあるのか」
 鯛《たひ》の子《こ》はくやしくつて火《ひ》のやうに眞赤《まつか》になりました。けれどまた怖《こわ》くつて、氷《こほり》のやうに硬《こは》ばつてぶるぶる、ふるえてをりました。
 もう旅《たび》は懲々《こり/\》でした。そう思《おも》ふと、自分《じぶん》の家《いへ》が戀《こひ》しくつて戀《こひ》しくつてたまりません。はやくかえらう。はやくかえらう。と、……………………
 父鯛《おやたひ》
「おお、氣《き》がついたか」
 ぱつちりと目《め》をあいた子《こ》の鯛《たひ》
「ここはどこです」
「汝《そち》の家《いへ》ぢや」
「え。あなた誰方《どなた》です」
「汝《そち》の父《ちゝ》じや。わからないのか」
「あツ、お父樣《とうさま》!」
「どうしたといふのか、どう……でもまあよかつたわ」
「私《わたし》は甦《うまれかは》つたやうに感《かん》じます」
「おお。そして旅《たび》はどんなであつた」
「はい」是々云々《これ/\しか/″\》でしたと、灣内《わんない》であつた鰯《いわし》やひらめ[#「ひらめ」に傍点]の優待《いうたい》から、沖《をき》でうけた大《おほ》きな魚類《ぎよるゐ》からの侮蔑《ぶべつ》まで、こまごまとなみだも交《まぢ》る物語《ものがたり》。
「するとその歸《かへ》るさ、私《わたし》は路《みち》を急《いそ》いでをりますと、此《こ》の鼻《はな》さきに大《おほ》きな眞黒《まつくろ》い山《やま》のやうなものがふいと浮上《うきあが》りました。眼《め》がくらくらツとして體《からだ》が搖《ゆ》れました。まつたく突然《だしぬけ》の出來事《できごと》です。けれど何程《なにほど》のことがあらうと運命《うんめい》を天《てん》にゆだね、夢中《むちう》になつて驅《か》けだしました。それからのことは一|切《さい》わかりません」
「無事《ぶじ》であつて何《なに》よりじや。その黒《くろ》い大《おほ》きな山《やま》とは、鯨《くじら》ぢやつた。おそろしいこと、おそろしいこと、聞《き》いただけでも慄《ぞつ》とする」
「お父樣《とうさま》」
「何《なに》」
「でも私《わたし》は善《よ》い經驗《けいけん》をいたしました」
「そ
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