ちるちる・みちる
山村暮鳥

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お芋《いも》の蒸《ふ》けるのを

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)三|人《にん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、底本のページと行数)
(例)そのもの[#「そのもの」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)沁々《しみ/″\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 自序

お芋《いも》の蒸《ふ》けるのを、子《こ》ども等《ら》と
樂《たの》しく一しよにまちながら……

 わたしは二人《ふたり》の子《こ》どもの父《ちゝ》であります。(三|人《にん》でしたがその一人《ひとり》は此《こ》の現實《げんじつ》の世界《せかい》にでて僅《わづか》に三|日《か》、日光《ひのひかり》にも觸《ふ》れないですぐまた永遠《えいゑん》の郷土《きやうど》にかへつて行《ゆ》きました)勿論《もちろん》、天眞《てんしん》な子《こ》ども達《たち》に對《たい》しては耻《はづか》しいことばかりの、それこそ名《な》ばかりの父《ちゝ》であります。否《いな》、父《ちゝ》ではありません。友《とも》であります。ほんとに善《よ》い友《とも》でありたいと、それを切《せつ》に希《ねが》ふものです。
 子《こ》ども達《たち》をおもふと、わたしは幸福《かうふく》を感《かん》じます。わたしは希望《きばう》を感《かん》じます。子《こ》ども達《たち》をとほしてのみ、眞《まこと》の人間《にんげん》の生活《せいくわつ》は、その意味《いみ》が解《わか》るやうに、わたしには想《おも》はれます。
 子《こ》ども達《たち》をおもひ且《か》つ愛《あい》することに依《よつ》て、わたしはわたしの此《こ》の苦惱《くるしみ》にみちみてる生涯《しやうがい》を純《きよ》く、そして美《うつく》しい日々《ひゞ》として過《すご》すでせう。これは大《おほ》きな感謝《かんしや》であります。

 此《こ》の夏《なつ》はじめの或《あ》る宵《よひ》のことでした。築地《つきぢ》の聖《せい》ルカ病院《びやうゐん》にK先生《せんせい》のお孃《じやう》さんをみまひました。おなじく、深《ふか》い罅《ひゞ》のはいつた肉體《からだ》をもつてゐるわたしは、これから海《うみ》に行《ゆ》かうとしてゐたので、一つはしばらく先生《せんせい》にもお目《め》に懸《かゝ》れまいと思《おも》つて。ああ、お孃《じやう》さんをみる、それが、而《しか》も最後《さいご》にならうとは!

あはれ白百合《しらゆり》
谿《たに》の百合《ゆり》
まだ露《つゆ》ながら、かつくりと
しほれて
頸《くび》を垂《た》れました

處女《をとめ》は
めされてゆきました
アイア
ポペイア
そして天國《みくに》へゆきました

 先生《せんせい》は奥樣《おくさま》と、夜晝《よるひる》、病床《ベツド》の側《そば》を離《はな》れませんでした。そして身《み》を碎《くだ》いて看護《かんご》をなされました。先生《せんせい》は「自分《じぶん》にかはれるものならば喜《よろこ》んで代《かは》つてやりたい」と沁々《しみ/″\》、その時《とき》、わたしに言《ゆ》はれました。それを聽《き》いた刹那《せつな》のわたしは、その神樣《かみさま》のやうなことを仰《おつしや》る先生《せんせい》を、心《こゝろ》の中《なか》で、手《て》をあはせて拜《をが》んでゐました。
 子《こ》をおもふ此《こ》の尊《たふと》い親心《おやごゝろ》! 親《おや》にとつて子《こ》ほどのものがありませうか。子《こ》どもは生《いのち》の種子《たね》であり、子《こ》どもは地《ち》を嗣《つ》ぐものであり、子《こ》どもは天《てん》の使《つかひ》であり。愛《あい》そのもの[#「そのもの」に傍点]であり、その子《こ》どもがあるから、どんな暗黒《あんこく》な時代《じだい》でも、未來《みらい》にひかり[#「ひかり」に傍点]を見《み》るのです。

 此《こ》の本《ほん》にあつめたものは、その二ツ三ツを除《のぞ》いて、みんなわたしの獨創《どくそう》による作品《さくひん》であります。

 わたしは今《いま》、此《こ》の本《ほん》を、小《ちひ》さい兄弟姉妹《けうだいしまい》達《たち》である日本《にほん》の子《こ》ども達《たち》に贈《おく》ります。また。その子《こ》ども達《たち》の親《おや》であり、先生《せんせい》である方々《かた/″\》にも是非《ぜひ》、讀《よ》んで戴《いたゞ》きたいのです。と言《い》ふのは、唯《たゞ》單《たん》に子《こ》ども達《たち》のためにとばかりでは無《な》く、わたしは此等《これら》のはなしの中《なか》で人生《じんせい》、社會《しやくわい》及《およ》びその運命《うんめい》や生活《せいくわつ》に關《くわん》する諸問題《しよもんだい》を眞摯《まじめ》にとり扱《あつか》つてみたからであります。
 これらは大方《おほかた》、而《しか》も今年《ことし》六ツになる女《をんな》の子《こ》のわたしたちの玲子《れいこ》――千|草《ぐさ》は、まだやつと第《だい》一のお誕生《たんじやう》がきたばかりで、何《なんに》も解《わか》りません――に、宵《よひ》の口《くち》の寐床《ねどこ》のなかなどで、わたしが聽《き》かせたものなのです。親《おや》としてまた友《とも》としての善良《ぜんりやう》な心《こゝろ》をもつて。

爾《なんぢ》、海《うみ》にゆきて鉤《はり》を垂《た》れよ。
はじめに釣《つ》りたる魚《うを》をとりて
その口《くち》をひらかば
金貨《きんくわ》一つを獲《う》べし。
Math,.XVIII,27.


目次

海《うみ》の話《はなし》
まだ生《い》きてゐる鱸《すゞき》
莢《さや》の中《なか》の豆《まめ》
鳩《はと》はこたへた
口喧嘩《くちげんくわ》
機織虫《はたをりむし》
鸚鵡《あふむ》
土鼠《もぐら》の死《し》
茶店《ちやみせ》のばあさん
烏《からす》を嘲《あざ》ける唄《うた》
石芋《いしいも》
おやこ
木《き》と木《き》
家鴨《あひる》の子《こ》
雜魚《ざこ》の祈《いの》り
森《もり》の老木《らうぼく》
鴉《からす》と田螺《たにし》
仲善《なかよ》し
動物園《どうぶつゑん》
頬白鳥《ほうじろ》
瓜畑《うりばたけ》のこと
蟹《かに》
蛙《かへる》
風《かぜ》
馬《うま》
蚊《か》
蚤《のみ》
蝉《せみ》は言《い》ふ
耳《みゝ》を切《き》つた兎《うさぎ》
運《はこ》ばれる豚《ぶた》
虻《あぶ》の一|生《しやう》
泥棒《どろぼう》
星《ほし》の國《くに》
鯛《たひ》の子《こ》
どうしてのんべえ[#「のんべえ」に傍点]は其《その》酒《さけ》を止《や》めたか
ささげの秘曲《ひきよく》


 海の話

 或《あ》る農村《のうそん》にびんぼうなお百姓《ひやくせう》がありました。びんぼうでしたが深切《しんせつ》で仲《なか》の善《よ》い、家族《かぞく》でした。そこの鴨居《かもゐ》にことしも燕《つばめ》が巣《す》をつくつてそして四五|羽《は》の雛《ひな》をそだててゐました。
 その日《ひ》は朝《あさ》から雨《あめ》がふつてゐました。
 巣《す》の中《なか》で、胸毛《むなげ》にふかく頸《くび》をうづめた母燕《おやつばめ》が眠《ねむ》るでもなく目《め》をつぶつてじつとしてゐると雛《ひな》の一つがたづねました。
「母《かあ》ちやん、何《なに》してるの。え、どうしたの」
 と、しんぱいして。
「どうもしやしません。母《かあ》ちやんはね。いま考《かんが》え事《ごと》をしてゐたの」
 すると、他《ほか》の雛《ひな》が
「かんがえごとつて何《なあに》」
「それはね……さあ、何《なん》と言《ゆ》つたらいいでせう。あんた達《たち》がはやく大《おほ》きくなると、此《こ》の國《くに》にさむいさむい風《かぜ》が吹《ふ》いたり、雪《ゆき》がふつたりしないうちに遠《とほ》い遠《とほ》い故郷《こきやう》のお家《うち》へかえるのよ。[#「かえるのよ。」は底本では「かえるのよ」と誤記]そして遠《とほ》い遠《とほ》いその故郷《こきやう》のお家《うち》へかえるには、それはそれは長《なが》い旅《たび》をしなければならないの。それがね、森《もり》や林《はやし》のあるところならよいが、疲《つか》れても翼《はね》をやすめることもできず、お腹《なか》が空《す》いても何《なに》一つ食《た》べるものもない、ひろいひろい、それは大《おほ》きな、毎日《まいにち》毎晩《まいばん》、夜《よる》も晝《ひる》も翅《か》けつづけで七|日《か》も十|日《か》もかからなければ越《こ》せない大《おほ》きな海《うみ》の上《うへ》をゆくのよ」
「まあ」と、それを聽《き》いて雛《ひな》達《たち》はおどろきました。
「それだからね、翼《はね》の弱《よわ》いものや體《からだ》の壯健《たつしや》でないものは、みんな途中《とちう》で、かわいさうに海《うみ》に落《お》ちて死《し》んでしまふのよ」
 氣速《きばや》なのが
「たすけたらいい」と横鎗《よこやり》をいれました。
「ところがね、それが出來《でき》ないの。なぜつて、誰《だれ》も彼《かれ》も自分《じぶん》獨《ひと》りがやつとなのよ。みんな一生懸命《いつしやうけんめい》ですもの。ひとを助《たす》けやうとすれば自分《じぶん》もともども死《し》んでしまはねばならない。それでは何《なん》にもならないでせう。ほんとに其處《そこ》では助《たす》けることも助《たす》けられることもできない。まつたく薄情《はくじやう》のやうだが自分々々《じぶん/″\》です。自分《じぶん》だけです。それ外《ほか》無《な》いのさ、ね」
「でも、もし母《かあ》ちやんが飛《と》べなくなつたら、僕《ぼく》、死《し》んでもいい、たすけてあげる」
「そうかい、ありがとう。だけどね、またその蒼々《あを/\》とした大《おほ》きな海《うみ》を無事《ぶじ》にわたり切《き》つて、陸《をか》からふりかへつてその海《うみ》を沁々《しみ/″\》眺《なが》める、あの氣持《きもち》つたら……あの時《とき》ばかりは何時《いつ》の間《ま》にかゐなくなつてゐる友達《ともだち》や親族《みうち》もわすれて、ほつとする。ああ、あの嬉《うれ》しさ……」
「はやく行《い》つて見《み》たいなあ」
「わたしもよ、ね、母《かあ》ちやん」
「ええ、ええ。誰《だれ》もおいては行《ゆ》きません。ひとり殘《のこ》らず行《ゆ》くのです。でもね、いいですか、それまでに大《おほ》きくそして立派《りつぱ》に育《そだ》つことですよ。壯健《たつしや》な體《からだ》と強《つよ》い翼《はね》! わかつて」
「ええ」
「ええ」
「ええ」
 と小《ちい》さい嘴《くち》が一|齊《せい》にこたへました。母燕《おやつばめ》はたまらなくなつて、みんな一しよに抱《だ》きしめながら
「何《なん》てまあ可愛《かあい》んだろ」


 まだ生きてゐる鱸

 朝早《あさはや》く、磯《いそ》で投釣《なげづ》りをしてゐる人《ひと》がありました。なかなか掛《かゝ》らないので、もうやめよう、もうやめようとおもつてゐました。と一|尾《ぴき》大《おほ》きな奴《やつ》がかかりました。
 鱸《すゞき》でした。
 その人《ひと》のよろこびつたらありませんでした。急《いそ》いで、それをぶらさげて歸《かへ》らうと立《た》ちあがりました。
 すると鱸《すゞき》が
「にいさん、私《わたし》を何處《どこ》へもつて行《い》くんです」
と聲《こゑ》をかけました。
 まだ生《い》きてゐるのでした。
「えつ! お母《つか》あにさ。お母《つか》あは此頃《このごろ》、すこし病氣《びやうき》してゐるんだ」とは言《ゆ》つたものの、心《こゝろ》の中《なか》では「すまない、すまない」と手《て》をあはせるばかりでありました。
 魚《さかな》は
「どうせ食《た》べられるなら、こんな孝行者《かうこうもの》の親《おや》の口《くち》にはいるのは幸福《しあはせ》といふもんだ」と、よろこんでそ
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