て容貌|風体《ふうてい》などを糺《ただ》し、それこそ今日《きょう》手に掛《かけ》たる女なり、役目とは云いながら、罪作りの所為《わざ》なり、以来は為すまじき事よと、後悔して後《の》ち百姓となり、無事に一生を送りしと、僕上野に遊んだ際、この穴を見たが惜《おし》いかな、土地の名を聞洩《ききもら》した、何でも直《じ》き上に寺のある、往来の左方《ひだり》だと記憶している。
◎先代の坂東秀調《ばんどうしゅうちょう》壮年の時分、伊勢《いせ》の津《つ》へ興行に赴き、同所|八幡《やはた》の娼家|山半楼《やまはんろう》の内芸者《うちげいしゃ》、八重吉《やえきち》と関係を結び、折々《おりおり》遊びに行きしが、或《ある》夜鰻を誂《あつら》え八重吉と一酌中《いっしゃくちゅう》、彼が他《た》の客席へ招かれた後《あと》、突然年若き病人らしい、婦人が来て、妾《わたし》は当楼《こちら》の娼妓《しょうぎ》で、トヤについて食が進まず、鰻を食《たべ》たいが買う力が無いと、涙を流して話すのを、秀調哀れに思いその鰻を与えしに、彼はペロリと食《たべ》て厚く礼を言い、出て往《いっ》た後《あと》間も無く八重吉が戻って、その話を聞きま
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