。女が気持よくそんな物と話をしたといふのが不思議である。さうするとイデンの蛇は無形の物で、イヴの頭の中にだけ見えたのかもしれない。イヴはその頭の中の蛇といろんな問答をして、樹の実を食べる決心をしたと考へてみれば、かなり素ばらしい生意気な女であつたやうで、それがわれわれ女性みんなの先祖であつた。
遠い国の蛇や、古い古い蛇はさておき、私の家の蛇を思ひ出すと、今はもうかなりの過去になる。大森の家はずつと以前は畑であつて、十軒ぐらゐの農家がその辺に家を構へた、そのうちの主人がよその土地に移つた一軒の家を改築して私たちの家としたのである。相当のひろさの地所で、道路に添うた三方の境には古い欅と榛の樹が農家らしく立つてゐた。十年ぐらゐ経つて主人が亡くなり、私と二人の子供だけ住むのには広すぎる家であつたが、引越すことのきらひな私は何時までもそこにゐた。その時分のこと、大きな蛇が塀ぎはの欅から欅に伝わつて歩くのを往来の人たちがよく見るやうになつた。あれは片山さんとこのヌシらしい、そつとして置けと近所の人たちは子供が石を投げるのを叱つて止めた。門側の垣根で、住居にはうしろだつたから私たちはその蛇を見なかつた。しかし或時それを見た、一本の樹から隣りの樹に這ひつたはる姿はひどく長いものだつた。一ばん大きな欅にうろがあつて、その中に住んでゐるのだらうといふことだつたが、植木屋が刈込みの時しらべて見ても何もゐないと言つた。あの蛇はもう死んだのだらうと私たちが思つてゐると、その後一二年して門のそばの小さい冬青の木に一ぴきの小蛇がぶらさがつてゐた。これはたぶんヌシの子よと、みんなできめて、そうつと触らずに置いた。時をり小蛇はその辺に見えてゐたらしいが、誰も気にもとめず、そんな事はすつかり忘れて静かな月日が過ぎた後、戦争が始まつた。
まだ私は古い家を捨てて疎開しようとも考へてゐない時分、晴れた九月の朝だつた、茶の間と居間との前の芝生に一ぴきの蛇がだらんとのびて寝てゐた。中へびであつた。死んでゐるらしいと、東北の農村そだちの女中は棒をもつて来てそれを引つかけようとした時だつた、蛇はいきなり頭を上げて六尺ばかり跳び上がり、すつと身をうねらしてきらきら光つて芝の上を走りはじめた。すばらしい早さで私たちの眼の前を滑り忽ちのうちに陰の方にかくれて行つた。生きてゐたのね! どうしてこんな明るい芝の上に寝てゐ
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