たのかと、私たちは話し合つた。いつぞやの小蛇が育つたのでせうと女中は言つた。さうすると、あれは家《うち》のヌシなのねと、私は奇妙な気もちになつた。家に何か変つた事が起るときヌシが現はれるといふ言ひつたへを信じるともなく私は信じてゐたらしく、そんな話を電話で息子の家に話した、新井宿の家に何か変つたことがあるのかもしれないと私は言つたけれど、若い人たちは、そんな事ないでせうと年寄の心を安心させようとした。
昭和十九年の初夏、蛇の事なんぞもうすつかり忘れてしまふほど忙しく、私は井の頭線の浜田山に疎開して来たが、そのあと私たちが長く住みふるした家は強制疎開でこわされて今は畑となつてゐる。いまになつて考へると、正しくあのヌシが私の家の消長の姿を教へに来たのであつたらう。勁いながい姿がすうつと庭をはしつたその朝のことが、めざましくはつきり思ひ出される。ヌシは、畑となつたあの広い空地のどこかに今もゐるのだらうか? ふしぎに私はその蛇に少しの気味わるさも感じない。むしろ恋しいくらゐにそのほそい銀の形をおもひ浮べる。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:富田倫生
2008年10月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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