終戦の秋軽井沢から浜田山に帰つて、荒れはてた庭を少しづつ草をとつて片づけてゐると、隣家との堺に小さい棗の芽生の二尺ぐらゐの高さのものを見出した。あらつ! 棗がある! 私は思はず声を上げて、同居のわかい人を呼んだ。この木は大森から持つて来たのでせうか、あなた覚えてゐる? と訊いてみた。彼女はお引越しの時あまり沢山いろんな物をトラックに載せて来たので、棗を持つて来たかどうかはつきり覚えてゐないと言つた。引越しより前に一度、四月の末ごろグラジオラスの球根といちごの株を持つて彼女と二人でこの庭に植ゑに来たことがあつた。そのとき棗の芽生の中位な大きさのを持つて来たのではなかつたかしらと考へてみたが、どうもはつきり思ひ出せなかつた。その木は隣家と私の家との境界の石のすぐそばに、一寸か二寸向うの家の方に入り込んで立つてゐる。その時分防火訓練のために双方の家の生垣はとりこはされてしまつたが、境界石がすぐ見えるから、私が持つて来たものなら石より此方側にうゑたらう、やはり隣家で小さい芽生を植ゑたのであつたらうとも思つた。隣家の人たちは栃木県に疎開してそれきり帰らず、今は新しい持主が住んでゐるので訊くこ
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