とも出来なかつたが、翌年になつて御主人の勤務先が変つたので、家を売つて京都に引越すことになつた。私はこの機会に心ばかりのお別れの贈物をして、その代り記念として庭のしげみに隠れてゐるあの棗の木をいただくことにした。あら、まあ、棗がありましたのねと、奥さんはそんな小さい木があることさへ知らず、それでは、私たちを思ひ出して頂戴と、快く私の庭にうゑつけてその翌日立つて行つた。
 もうそれから四年経つて棗はずゐぶん育つた。人間の齢でいへば十七八ではないかしら? 一昨年から私はその実をたべ始めた、と言つてもほんの二つか三つぐらゐ。昨年は十つぶか、もつと余計に食べた。今年も白い花を充分つけてゐる。老年になつた私は子供の時のやうにもう一度木の下に立つて愉快に木の実を食べることが出来る。それをたべながら私は祖父の家の古い棗を考へる。米倉の白い壁も鶏どもの赤い鳥冠も。追憶は私自身の大森の家の大きな棗とその廻りの芽生を思ひ出させる。あの木に私の大事な赤猫が駈け上がつて遊んだこともある。青ぞらにもずがやかましく鳴いた日であつた。古い本の頁のやうに、あけて見ればいろいろな事がある、三本の棗の木と私の生活のうつり
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