ど、昔の母親たちはみんな心がけて娘の着物や小物類は三年も五年もの時間をかけて揃へる、そして嫁入りの時には礼服やよそゆきの好い着物、諸道具だけ買へば間に合つたのである。そんなわけで、むかし嫁に行つた人たちは先づすくなくとも此処に書いたお荷物の半分か三分の二ぐらゐは持たせられたのだ。私のやうな昔の人間の手もとにも今大きい鋏と爪きり鋏、そろばんや物差、火のし、鏝ぐらゐは残つているが、電気ごてやアイロンの現代には、古い火のしなぞ何処かに隠れてしまつた。物は割合に長くきずつかずに残つてゐるけれど、それらの持主のむかしの嫁たちは長い年月のうちに死ぬものもあり、体も心も疲れ弱つたもの、あるひは大そう利口になつたもの、心のひねくれたもの、又のびのびと素直に老年になつたものや、いろいろである。両親や仲人たちは若い時だけの相談相手で、その後の彼女のためには良人と子供たち、それに良人の働いてゐる世界とが彼女をとり巻くのである。もう今では日本の花嫁たちは七荷や十三荷の荷物は入らない。たつた一部屋か二部屋の生活では一つの洋服箪笥と机本箱が並べられるかどうかも疑問である。花嫁はただ健康と知性と真実心と、それに或る
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