根のない勧工場《くわんこうば》の廊下と見られる。横山町|辺《へん》のとある路地の中には矢張《やはり》立派に石を敷詰めた両側ともに長門筒《ながとつゝ》袋物また筆なぞ製してゐる問屋ばかりが続いてゐるので、路地一帯が倉庫のやうに思はれる処があつた。芸者家の許可された町の路地は云ふまでもなく艶《なまめか》しい限りであるが、私はこの種類の中《うち》では新橋柳橋の路地よりも新富座裏の一角をば其のあたりの堀割の夜景とまた芝居小屋の背面を見る様子とから最も趣のあるやうに思つてゐる。路地の最も長くまた最も錯雑して、恰も迷宮の観あるは葭町《よしちやう》の芸者家町であらう。路地の内に蔵造《くらづくり》の質屋もあれば有徳《うとく》な人の隠宅《いんたく》らしい板塀も見える。わが拙作《せつさく》小説すみだ川の篇中《へんちゆう》にはかゝる路地の或場所をば其の頃見たまゝに写生して置いた。
 路地の光景が常に私をして斯くの如く興味を催さしむるは西洋銅版画に見るが如き或はわが浮世絵に味《あぢは》ふが如き平民的画趣とも云ふべき一種の芸術的感興に基《もとづ》くものである。路地を通り抜ける時|試《こゝろみ》に立止つて向うを見れ
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