る最大の理由になるのである。
路地はどうかすると横町同様|人力車《くるま》の通れるほど広いものもあれば、土蔵または人家の狭間《ひあはひ》になつて人《ひと》一人《ひとり》やつと通れるかどうかと危まれるものもある。勿論其の住民の階級職業によつて路地は種々《しゆ/″\》異つた体裁をなしてゐる。日本橋|際《ぎは》の木原店《きはらだな》は軒並《のきなみ》飲食店の行灯《あんどう》が出てゐる処から今だに食傷新道《しよくしやうじんみち》の名がついてゐる。吾妻橋《あづまばし》の手前|東橋亭《とうけうてい》とよぶ寄席の角《かど》から花川戸《はなかはど》の路地に這入《はい》れば、こゝは芸人や芝居者また遊芸の師匠なぞの多い処から何となく猿若町《さるわかまち》の新道の昔もかくやと推量せられる。いつも夜店の賑ふ八丁堀北島町の路地には片側に講釈の定席《ぢやうせき》、片側には娘義太夫の定席が向合《むかひあ》つてゐるので、堂摺連《だうするれん》の手拍子は毎夜|張扇《はりあふぎ》の響《ひゞき》に打交《うちまじは》る。両国の広小路に沿うて石を敷いた小路には小間物屋袋物屋煎餅屋など種々なる小売店の賑ふ有様、正《まさ》しく屋
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