表通からは見る事の出来ない種々《さま/″\》なる生活が潜みかくれてゐる。佗住居《わびずまひ》の果敢《はかな》さもある。隠棲の平和もある。失敗と挫折と窮迫との最終の報酬なる怠惰と無責任との楽境《らくきやう》もある。すいた同士の新世帯もあれば命掛けなる密通の冒険もある。されば路地は細く短しと雖《いへど》も趣味と変化に富むこと恰も長編の小説の如しと云はれるであらう。
 今日《こんにち》東京の表通は銀座より日本橋通は勿論上野の広小路浅草の駒形通を始めとして到処《いたるところ》西洋まがひの建築物とペンキ塗の看板痩せ衰へた並樹《なみき》さては処嫌《ところきら》はず無遠慮に突立つてゐる電信柱と又目まぐるしい電線の網目の為めに、云ふまでもなく静寂の美を保つてゐた江戸市街の整頓を失ひ、しかも猶《なほ》未《いま》だ音律的なる活動の美を有する西洋市街の列に加はる事も出来ない。さればこの中途半端の市街に対しては、風雨雪月|夕陽等《せきやうとう》の助けを借るにあらずんば到底芸術的感興を催す事ができない。表通を歩いて絶えず感ずるこの不快と嫌悪の情とは一層《ひとしほ》私をして其の陰にかくれた路地の光景に興味を持たせ
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