一面の絵として、自分には如何なる外国の傑作品をも聯想《れんそう》せしめない、全く特種の美しい空想を湧起《ゆうき》せしめた事を記憶している。強《し》いて何かの聯想を思い出させれば、やはり名所の雪を描いた古い錦絵か、然らずば、芝居の舞台で見る「吉野山《よしのやま》」か「水滸伝《すいこでん》」の如き場面であろう。けれども、それらの錦絵も芝居の書割《かきわり》も決して完全にこの珍らしい貴重なる東洋固有の風景を写しているとは思えない。
寒月《かんげつ》の隈《くま》なく照り輝いた風のない静な晩、その蒼白い光と澄み渡る深い空の色とが、何というわけなく、われらの国土にノスタルジックな南方的情趣を帯びさせる夜《よる》、自分は公園の裏手なる池のほとりから、深い樹木に蔽われた丘の上に攀《よ》じ登って、二代将軍の墳墓に近い朱塗の橋を渡り、その辺《へん》の小高い処から、木の根に腰をかけて、目の下一面に、二代将軍の霊廟全体を見下《みおろ》した事がある。
底光りのする空を縫った老樹の梢《こずえ》には折々|梟《ふくろ》が啼いている。月の光は幾重《いくえ》にも重《かさか》った霊廟の屋根を銀盤のように、その軒裏の彩色
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