では京二の松大黒《まつだいこく》と、京一の稲弁《いなべん》との二軒だけで、其他は皆|小格子《こがうし》であつた。
「今戸心中」が明治文壇の傑作として永く記憶せられてゐるのは、篇中の人物の性格と情緒とが余す所なく精細に叙述せられてゐるのみならず、又妓楼全体の生活が渾然として一幅の風俗画をなしてゐるからである。篇中の事件は酉の市の前後から説き起されて、年末の煤払ひに終つてゐる。吉原の風俗と共に情死の事を説くには最も適切な時節を択んだところに作者の用意と苦心とが窺はれる。わたくしはこゝに最終の一節を摘録しやう。
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小万《こまん》は涙ながら写真と遺書《かきおき》とを持つたまゝ、同じ二階の吉里《よしざと》の室《へや》へ走ツて行ツて見ると、素より吉里の居《を》らう筈がなく、お熊を始め書記《かきやく》の男と他《ほか》に二人ばかり騒いでゐた。小万は上《かみ》の間《ま》に行ツて窓から覗いたが、太郎稲荷、入谷、金杉あたりの人家の灯火《ともしび》が散見《ちらつ》き、遠く上野の電気灯が鬼火《ひとだま》の様に見えて居るばかりである。
次の月の午時頃《ひるごろ》、浅草警察署の手で、今戸の橋
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