の門前を過ぎて千束稲荷の方へ抜け、また真直に西の方へ行けば、三島神社の石垣について阪本通へ出るので、毎夜吉原通ひの人力車がこの道を引きもきらず、提灯を振りながら走り過るのを、「たけくらべ」の作者は「十分間に七十五輌」と数へたのであつた。
長屋は追々まばらになつて、道も稍ひろく、その両側を流れる溝《どぶ》の水に石橋をわたし、生茂る竹むらを其儘の垣にした閑雅な門構の家がつゞき出す。わたくしは曾てそれ等の中の一構《ひとかまへ》が、有名な料理屋田川屋の跡だとかいふはなしを聞いたことがあつた。「たけくらべ」に描かれてゐる龍華寺《りゆうげじ》といふ寺。またおしやま[#「おしやま」に傍点]な娘|美登里《みどり》の住んでゐた大黒屋の寮なども大方このあたりのすたれた寺や、風雅な潜門《くゞリもん》の家を、其のまゝ資料にしたものであらうと、通るごとにわたくしは門の内をのぞかずには居られなかつた。江戸時代に楓《もみぢ》の名所と云はれた正燈寺《しやうとうじ》も亦大音寺前に在つたが、庭内の楓樹は久しき以前、既に枯れつくして、わたくしが散歩した頃には、門内の一樹がわづかに昔の名残を留めてゐるに過ぎなかつた。
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