今戸心中」、「たけくらべ」、「註文帳」の如き諸作はこの叙事詩的の一面を捉へ来つて描写の功を成したのである。「たけくらべ」第十回の一節はわたくしの所感を証明するに足りるであらう。

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春は桜の賑ひよりかけて、なき玉菊が灯籠の頃、つゞいて秋の新仁和賀には十分間に車の飛ぶこと此通りのみにて七十五輌と数へしも、二の替りさへいつしか過ぎて、赤蜻蛉田圃に乱るれば、横堀に鶉なく頃も近《ちかづ》きぬ。朝夕の秋風身にしみ渡りて、上清《じやうせい》が店の蚊遣香懐炉灰に座をゆづり、石橋の田村やが粉挽く臼の音さびしく、角海老が時計の響きもそゞろ哀れの音を伝へるやうになれば、四季絶間なき日暮里の火の光りもあれが人を焼く烟かとうら悲しく、茶屋が裏ゆく土手下の細道に落ちかゝるやうな三味の音を仰いで聞けば、仲之町芸者が冴えたる腕に、君が情の仮寐の床にと何ならぬ一ふしあはれも深く、此時節より通ひ初《そ》むるは浮かれ浮かるゝ遊客ならで、身にしみ/″\と実のあるお方のよし、遊女《つとめ》あがりのさる人が申しき。
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 一葉が文の情調は柳浪の作中について見るも更に異る所がない。二
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