や》の店先とその親爺との描写は此作者にして初めて為し得べき名文である。わたくしは「今戸心中」が其時節を年の暮に取り、「たけくらべ」が残暑の秋を時節にして、各その創作に特別の風趣を添へてゐるのと同じく、「註文帳」の作者が篇中その事件を述ぶるに当つて雪の夜を択んだことを最も巧妙なる手段だと思つてゐる。一立斎広重の板画について、雪に埋れた日本堤や大門外の風景をよろこぶ鑑賞家は、鏡花子の筆致の之に匹如たることを認めるであらう。
鉄道馬車が廃せられて電車に替へられたのは、たしか明治三十六年である。世態人情の変化は漸く急激となつたが、然し吉原の別天地は猶旧習を保持するだけの余裕があつたものと見え、毎夜の張見世《はりみせ》は猶廃止せられず、時節が来れば桜や仁和賀《にはか》の催しも亦つゞけられてゐた。
わたくしは此年《このとし》から五六年、図らずも羇旅の人となつたが、明治四十一年の秋、重ねて来り見るに及んで、転た前度の劉郎たる思ひをなさねばならなかつた。仲《なか》の町《ちやう》にはビーヤホールが出来て、「秋信先通ず両行の灯影」といふやうな町の眺めの調和が破られ、張店《はりみせ》がなくなつて五丁町《
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