が西洋名画の筆者と画題とを書いたものを看客に見せた後幕を明けるのだという話であった。しかしわたくしが事実目撃したのは去年(昭和廿三年)になってからであった。
 戦争前からわたくしは浅草公園の興行界には知合の人が少くなかった。浅草の興行街は幸に空襲の災難を免《まぬか》れていたので映画の外に芝居やレビューも追々《おいおい》興行されるようになったから、是非にも遊びに来るようにと手紙をもらうことも度々になったので、去年の正月も七草《ななくさ》を過ぎたころ、見物に出かけた、その時|木馬館《もくばかん》の後あたりに小屋掛をして、裸体の女の大勢足をあげて踊っている看板と、エロス祭と大書した札を出しているのがあった。入場料は拾円で、蓄音機にしかけた口上が立止る人々の好奇心を挑発させていた。しかし入口からぽつぽつ出て来る人たちの評判を立聞きすると、「腰巻なんぞ締《し》めていやがる。面白くもねえ。」というのである。小屋掛の様子からどうしてもむかし縁日《えんにち》に出たロクロ首の見世物も同じらしく思われたので、わたくしは入らずにしまった。このエロス祭とよく似ていたのは日本館の隣の空地《あきち》でやっていた見
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