世物である。黒眼鏡をかけた女がその首だけを台の上に載せ、その身体は見えないようにしてある。呼込みの男が医学と衛生に関する講演をやって好加減《いいかげん》入場者が集まる頃合を見計い表の幕を下す。入場料はたしか五拾円であった。これも、わたくしは入って見てもいいと思いながら講演が長たらしいのに閉口して、這入《はい》らずにしまった。エロス祭と女の首の見世物とは半歳近くつづいて、その年の秋にはなくなっていた。
 ジャズ舞踊と演劇とを見せる劇場は公園の興行街には常盤座《ときわざ》、ロック座、大都劇場の三座である。踊子の大勢出るレヴューをこの土地ではショーとかヴァライエチーとか呼んでいる。西洋の名画にちなんだ姿態を取らせて、モデルの裸体を見せるのはジャズ舞踊の間にはさんでやるのである。見てしまえば別に何処《どこ》が面白かったと言えないくらいなもので、洗湯《せんとう》へ行って女湯の透見《すきみ》をするのと大差はない。興味は表看板の極端な絵を見て好奇心に駆られている間だけだと言えばいいのであろう。われわれ傍観者には戦争前にはなくて戦敗後に現れて一代の人気に投じたという処に観察の興味があるのだ。
 ジャズ
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